見出し画像

■戦争体験…働くことの「重み」

「詩の本」を読んで(28) 石垣りん

◇「朝のあかり-石垣りんエッセイ集-」(中公文庫、2023年2月刊)

詩に比べると、石垣りんのエッセーは強い印象を残さないが、平易に素直な気持ちを書いているという点で、この詩人には好感を持つ。

◇伊藤比呂美編「石垣りん詩集」(岩波文庫、2015年11月刊)

今年出たエッセー集だけ取り上げるつもりだったが、今週に入って、会社を辞める決断(会社から契約更新しない旨を言われたからだが…)をした。石垣の詩「定年」を収録する8年前に出て、僕の数少ない詩集コレクションのひとつも合わせて紹介する。

内容(朝のあかり)

自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる-。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら詩作をつづけた著者は、50歳で川辺の1DKを手に入れ…。ひとりを味わう詩人の暮らしぶりが息づくエッセイ集。

図書館データ

内容(石垣りん詩集)

家と職場、生活と仕事の描写のうちに根源的なものを凝視する力強い詩を書きつづけ、戦後の女性詩をリードした石垣りん。その全詩業から、手書き原稿としてのみ遺された未発表詩や単行詩集未収録作品をふくむ120篇を精選。

図書館データ

昨年6月に、■茨木のり子…驚いた「弔辞」の中身
10月に■石垣りん…くらい読んでるよね?
―と過去2回石垣りん(1920-2004)について書いた。
僕が詩を読み書くようになったのは2020年の暮れからだが、その早い段階から石垣の詩は読み、今に至るも、近しく感じ続ける詩人の一人である。

エッセーのほうは、くどくど書かず、淡々とした筆致で彼女が見てきたこと、感じたことをつづっている。

Ⅰ はたらく
Ⅱ ひとりで暮らす
Ⅲ 詩を書く
Ⅳ 齢を重ねる
――と4つの構成になっているが、どれも本来なら彼女が詩として書くようなものである。
前掲の茨木のり子の弔辞にあり、石垣本人も何度も自身の学歴に触れているが、高等教育を受けていないということで、彼女は難しい言葉、表現は基本的にしない。
それが、読み手の心に届きやすい…というのが僕が彼女を評価する最大の理由である。
ただ、エッセーより、やはり詩のほうが数段よい。

9日にアップした僕の詩「しようがない」
これは、石垣の詩「定年」を再読する前に書いたものだが、「定年」を改めて読むと、彼女も同じようなことを感じた、感じさせられたのだ、と思った。
働くこと――特に会社・組織の中で働くというのは、そういうこと。
そこに、人間はいないのだ。

もうひとつ。太平洋戦争終戦時に20歳で銀行(日本興業銀行=現みずほ銀行)に勤めていた石垣の戦中、戦後の体験・思いをもエッセー、詩ともに多く書かれている。

きのう10日の「■反戦と反天皇」でも書いたが、戦争体験をしているのと、していないのとでは、書くこと、書けることの幅、深さともに現代(21世紀)の人間とはまったく違う。
その意味で、石垣は読み返すべき書き手の一人であるのは間違いない。

岩波文庫の詩集の表紙には、彼女の生原稿の写真が使われている。
それを見ると、長年事務仕事をした人らしい、丁寧な筆致で、人柄が伝わる。
興銀といえば、かつては銀行の中の銀行とも言われ、勤め先としては旧大蔵省、日銀に比する東大法学部出が主流の銀行であった。オレたちが日本を、日本経済を動かているんだ、と踏ん反りかえっていた興銀マンの下で働く立場で40年…定年まで勤めた石垣。
書かないままでいたことも多数あっただろうね。

石垣りん

写真はあなたの静岡新聞より


いいなと思ったら応援しよう!