「ふるさとのこと」
現代詩 午前零時の再登板 №2
母と相談して決めた ここは雨が多いから「雨沢」っていうことにしよう と
港に向かう街道を歩く 今は小さな漁港しかないが 近代になるまでは 北前船の中継地として ずいぶん栄えたんだそう 江戸末期に豪商のひとりがこの地から出たほど そんな港町の近くにぼくたち家族が移り住んだのは1960年代の半ばごろ 町の中を歩くと 屋根が板葺きで その上に丸い石が置かれていたのが目に付いた 普通は黒瓦のはずなのに 何か時代が違うような 貧しい感じを受けた それもあいまって 繁栄の跡などは見られず ひたすらさびれた印象しかない 小さな港町だった
その町まで 母に手を引かれて ぼくは幼いころ何度も買い物に行った
ひとつの商店に入ったとき――
「あんたどっから来た人や?」
問われた母は 中国大連で生まれ育ち 戦後に引き揚げ 18歳で初めて日本の土を踏んだ 北陸の片田舎で生活を立てたのだが その町に移り住んだころでも引き揚げから20年たつかたたないかで 地元の訛り イントネーションより 標準語が出る人であった
引揚者であり 地元で育ったものではない旨を 母は語ったろう
店番の老女は 母の来し方を聞き
「ふんっ そうけ 旅の人やねっ」
そう言い捨てた
母にとっては その言葉 ぬくもりのない言い回しが 終生つきまとった
だが
だれもが この世の 旅の人ではないか
引揚者というデラシネ 大きな体制から捨てられた人びと
その意味では 寂れた小商店にいた あの老女と 母と
どれだけの差があったか
雨沢の冬に 青空はない ずっとずっと 鉛色の空
時に雨 時に雪霰 そして霙 目まぐるしく空は姿を変える
それでも青空が一瞬 見えるときがある
その青空は貴重だ
鉛色の空が変わる 澄んだ青空のような心を持った人は
「旅の人」などという言葉を吐かないだろう
母にとり あの町で そんな青空との出合いは 終生 きっとなかった
町を離れてずいぶん時がたち ぼくはそう感じる
※「雨沢の思い出」(2022年6月20日初出)