
「雨の向島」
ここはずっと 焼野原ですよ
老女がいう
昔の話ですよね
私はつぶやいた
いいえ
今もそうですよ ご覧なさいよ
老女は 水たまりを跳ね飛ばし国道6号を走る車の群れに目を向けた
私には何も見えません
その国道6号・水戸街道の両側は 隅田川に架かる言問橋から荒川に向かう大通り沿い 中層マンションが立ち並ぶ 屏風のよう
そちらには目もくれず
老女はまた つぶやいた
ほら 本所の先 ずっと先
富士山もよく見えるわね
ああ…
と
私は南のほうに顔を向けた
いや
雨と霧で 目の前の大鉄塔すら 雨煙に隠れたまま
焼け跡はもちろん 富士山などが見えるはずもない
特徴のない無機質なマンション
一本中に入った小路には 取り残された仕舞屋(しもうたや)ばかりの街
かつて玉の井と呼ばれ 昼夜なく人々が歩いた そのさんざめきがあった と聞く街
今 それを感じさせるものはことごとく ない
ああ
その意味では ここは
焼野原
私は傘をさしながら歩きだした
周りに 人かげはなかった