■詩人は…カッコよくなきゃ…
「詩の本」を読んで(32)
◇「詩人吉原幸子-愛について」
(平凡社コロナブックス 2023年6月刊)
僕は現代詩を読み、書くようになってこの11月でようやく3年…という永遠のビギナー詩人である。
これまで、現代詩のアンソロジーを何冊か読んでいながら、この詩人・吉原幸子(よしはらさちこ、1932ー2002)については素通りしていた。
きっかけは何だったか忘れたが、詩の実作講座で名前を聞いたか、雑誌で見たか…。気になって、この夏、図書館で「オンディーヌ」(1972年)や「花のもとにて春」(1983年)など4冊の詩集を読んだ。
それぞれに良かった。なんといっても旧仮名づかいで詩をつづるのがいい。
「現代詩現代詩」している部分もあるが、決してひとりよがりな表現はしていない。
それら詩集を読んだ後に、ムック風の本書「詩人吉原幸子-愛について」を借りて読んだ。
印象に残る詩は、彼女の第一詩集「幼年連涛」(1964年)所収の「無題」だ。
『ああ こんなよる 立ってゐるのね 木』
このフレーズだけでノックダウンだ。
本書「詩人吉原幸子-愛について」でも、この詩を大きく取り上げている。そして、彼女の写真や詩業についてあれこれ書いていてその人物像が理解できる。中には、僕が好きな石垣りんとのツーショット写真があったりして、へぇ~と思わされた。
前にも書いたが、富裕層で育ち学歴もある茨木のり子が石垣りんをその偲ぶ会で「学歴のない人」と弔辞で述べたのに対して、あの年齢で東大卒の吉原は、石垣のことをどう思っていたのかな、と。
吉原は70歳丁度で亡くなっているが、僕の亡母よりちょっと年下。戦前、昭和1ケタの生まれの人だ。
戦後の教育を受け、東大文学部を出ている。演劇をやっていて一時期劇団四季にも在籍したというだけあって、写真で見てもわかるとおり…おきれいな方である。
そんな女性が、こういう詩を書くのである。
カッコイイ…それに尽きる。
先日、読売新聞の文化面で大きな記事が載り、「再評価」の見出しが躍っていた。
今、比較的注目される現代詩の詩人というと女性が多いが、顔出しもせず、カッコイイかどうかも不明だったりする。
今、吉原幸子のような詩人がいたら…どう世間は見るだろうか。