■「推理小説」はみなこんなものか?
現代散文自由詩人の独り言(67)
◇トリック優先で詩的なものがない
小説「レーテーの大河」(斉藤詠一著、2022年5月、講談社刊)を読んで
ノンフィクション、小説、ビジネス書…新聞や雑誌、放送…さらに他人の会話の類まで、文字と言葉になったものすべてを詩作の参考にしたいと思っている。詩と詩集以外の言葉にも常に関心を持つという意味だ。
新聞書評で面白そうだ、と思い図書館から借りて読んだ。
太平洋戦争が終わる前夜、1945年8月。日本の敗戦がほぼ確定した段階で満州に攻め込んだソ連から逃れようとした男女3人の子供が、日本に命からがら引き揚げ、64年の東京オリンピック開催前の日本で運命の糸にひきつけられながら、ひとつの事件に巻き込まれていく――というサスペンス小説である。
僕は、満州やそこからの引揚者、戦中戦後のあれこれに長年関心がある。
純文学的な小説を除くと、サスペンス、推理小説といったエンターテインメント系の小説は滅多に読まないのだが、この小説の設定に関心を持ち、期待しながら読み進めた。しかし、期待外れであった。
鉄道のダイヤを使ったトリックを仕掛け、荒唐無稽に映る国際謀略話を絡め、クライマックスの暴走列車を使った「アクション」場面が、作者に都合のいいストーリーテリングで興ざめなのである。
時代に翻弄されてきた登場人物の陰の部分が描き足りず、不満の残る小説であった。
小説の中の言葉に、僕の詩作に生かせるような、ハッとするような表現、描写もなく、後半はただストーリーと結果がどうなるか(犯人探し)をページを勢いよくめくって読み飛ばす感じで終わった。
作者は2018年に「到達不能極」で第64回江戸川乱歩賞を受賞。そちら(推理、サスペンス)系では期待される書き手なのだろうが、僕には関心の外である。ただ、これを映画、映像化したらスリリングで面白いかな、とは思った。