思想や価値観が違っても一緒にご飯を食べよう|『スープとイデオロギー』
『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』などのヤン ヨンヒ監督の最新作『スープとイデオロギー』を鑑賞しました。
父と母が頑なに「北」を信じ続けた理由
今まで家族と北朝鮮の関係を描いてきた、在日コリアン2世のヤン ヨンヒ監督ですが、本作では韓国現代史最大のタブーとされる「済州島4・3事件」(チェジュド)をきっかけに、オモニ(お母さん)の秘密を知ることなります。
今まで過去に経験した凄惨な歴史を語ることがなかったオモニが、ぽつぽつと話し始める「済州島4・3事件」は、言葉で聞くだけで恐ろしい内容で、涙が出そうでした。
「済州島4・3事件」は済州島(チェジュド)で起こった、民衆の武装蜂起から、その武力鎮圧にいたる一連の事件のこと。米軍による軍政下にあった朝鮮半島南部(南朝鮮)では、米軍政と左派勢力との対立が次第に深刻化。軍や右翼によって、武装蜂起と関係のない市民も多く殺害された凄惨な歴史です。
あの関西弁で楽しそうに喋る“大阪のおばちゃん”のオモニでさえ、今までずっとこの事件について語らなかったこと、そして両親がなぜ、韓国政府を徹底的に否定し、息子たちを送るほど、頑なに「北」を信じてきたのか。
その理由を知ったヤン監督が頭の中を必死に整理する様は、わたしには彼らの苦しみを想像するしかないとしても、心の深くまでグッとくるものがありました。
カメラを回し続けることへの尊敬
本作はオモニがアルツハイマー病を患い、介護という普遍的なテーマも含んでいます。映画前半であんなにハツラツとしたオモニの姿を観ているだけに、後半で徐々に記憶が混乱していくオモニを観るのは本当に辛かった。
ヤン監督がパンフレットで、『かぞくのくに』を制作する中で、もし「北」にいる家族が罰せられたら?と、実在する人物を作品にするドキュメンタリーが孕む暴力性に、精神的にボロボロだったと語っていました。
しかし本作を鑑賞し、アルツハイマー病を患ったオモニの言葉をずっと記録していた行為に、わたしは尊敬と羨ましさがありました。映像で家族の姿を残しておくことの尊さと温かさをとにかく感じたのです。
もちろんプライベートな映像を作品として世の中に公表にすることは、一種の暴力性を秘めていますが、記録しておくという行為自体は素晴らしいことだと改めて思いました。
新しい家族と、温かいスープ
本作は歴史的に辛く重いテーマを扱いながら、クスッと笑える微笑ましいシーンもたくさんありました。その役割を担っていたのは、本作のプロデューサーであり、ヤン監督の夫でもある荒井カオルさんの存在でした。
ある夏の日。スーツ姿の荒井さんは結婚の挨拶のためにオモニの元を訪れます。亡くなったヤン監督のアボジ(お父さん)は、生前「結婚するなら朝鮮人しか許さない」と話していましたが、荒井さんは、ヤン監督より年下の日本人男性。それでもオモニは笑顔で迎え入れ、温かいスープを振る舞うのです。
タイトルに「スープ」と入っているように、ごはん映画としても楽しみにしていたのですが、オモニが作るこのスープが本当に美味しそう!
鶏丸ごと1羽に、たくさんのニンニク(40個くらい入れる)と高麗人参、ナツメなどを詰め込んで、4時間煮込みます。
最初はオモニが振る舞った料理を、今度は荒井さんが作る。家族のかたちが変わっても一緒にごはんを食べることの大切さ。監督がこの映画のタイトルに込めた、「思想や価値観が違っても一緒にご飯を食べよう、殺しあわずともに生きよう」というメッセージは、世界中の多くの人の願いがこもっていると思います。
わたしはこの映画のポスターも大好きです。オモニが見つめる先にいるのは……優しい眼差しに胸がいっぱいになります。自分も家族の話を聞きたい、家族の歴史をちゃんと知りたいと思わせてくれる作品でした。
公開劇場は限られてしまいますが、ぜひ今の時代を生きる人々に観てほしいドキュメンタリー作品です。
▼荒井さんにインタビューしたこちらの記事がとても面白かったです