安心という名の家を建てる|『サンドラの小さな家』
映画に登場するごはんが好きです。
理由については記事を書きましたが、わたしは映画の中の登場人物たちが生活している姿が好きなのだと思います。
そして食事と同じくらい興味深いのは住宅事情。家や部屋というのは、映画の登場人物たちの生活を様々な形で観客に伝えます。
家で過ごす時間が好きです。映画館にはよく行きますが、基本はインドアで出不精、よく晴れた日に昼寝をするのも気持ちいいし、家の中で雨を眺めながらの昼寝も好きです。(よく眠ります)
ここ2年は不要不急の外出を制限されることもあり、ある程度の食料や日用品を準備していれば、家にいることは一番の安全策だと思うこともありました。
『サンドラの小さな家』を観た
Netflixで『サンドラの小さな家』という作品を鑑賞しました。
アイルランド・ダブリンを舞台に、住居を失った若い母親と子どもたちが、周囲の人々と助け合いながら自分たちの手で小さな家を建てる姿を描いたヒューマンドラマです。
この映画に出てくる「家」という存在を通して「安心できる暮らし」というものを、今一度考えるきっかけになったとてもいい映画でした。
夫からの家庭内暴力から逃れるため、ホテルでの仮住まい生活を余儀なくされたサンドラ。公営住宅は長い順番待ちで、仮住まい生活からなかなか抜け出せない。仕事や学校の送り迎えは物理的に移動距離が長く、ホテル暮らしにも制限がある。心はいつも安心することがなく、不安定さに押しつぶされそうな様子です。
そんなとき、サンドラはふとした娘との会話から、自分で家を建てることを思いつきます。サンドラが清掃人として働いている家のペギーや、偶然知り合った建設業者エイド、仲間たちの協力を得て、自らの手で家を建てていきます。
今は多様で新しい生活様式で、ホテル暮らしやアドレスホッパーなどあえて定住を持たない暮らしを選ぶ人もたくさんいます。身軽な旅人のような暮らしに憧れがある一方、今のわたしは定住の地で、自分だけの城を築くような安心できる暮らしを作りたい。あくまで今の価値観なので、今後は変わるかもしれないけど、そのくらい家というものは、わたしに安心感を与えてくれています。
サンドラの家づくりを手伝ってくれる人々は、とても心優しく善人です。途中ヒステリックになってしまうサンドラを優しく支えます。彼らが移民やハンディキャップを持っていたり、病気や年齢など、マイノリティなキャラクターであることは、本作の伝えたいメッセージの一つかもしれません。
さまざまな社会問題に立ち向かっていくとき、おそらく一人では解決できない。サンドラは自ら声をかけ助けを求め、見ず知らずのだった仲間たちも無償で応じる。本来であれば国や法がその役割を担うべきですが、基になるはけっきょくは「人」なんだと。その家はサンドラだけの家ではなく「コミュニティ」で、皆の想いを建てているのだと。
家に対して強い想いを持っているわたしは、映画後半でサンドラの身に起こる不幸に、彼女と同じくらい呆然としてしまいました。このシーンでは単純に「物」として失ったのではなく、サンドラが死ぬ思いでかき集めた「安心」こそが失われてしまったのだと感じます。
しかし、同じように心に傷を抱えてしまったはずの子供たちの行動は「希望」でした。彼らはまた立ち上がれる。今度は我々が、サンドラと同じように苦しんでいる人々に手を添える番なんだと思わせてくれる、そんな映画でした。
▼▼『サンドラの小さな家』に登場するごはん▼▼
庭で皆が集まった夕食で、カメルーン料理が振る舞われます。バナナとヤギ肉のシチュー「ンドレ」が登場し、ヤギ肉に驚くメンバーが面白い。(Netflixの字幕では「コンドレ」となっていたのですが、正式名称は「ンドレ」なのかな?)
「ンドレ」と呼ばれるキク科の植物を使って作るそうで、苦味が美味しいらしい。映画のように肉やバナナを入れたり、魚を入れる場合もあるそうです。カメルーン料理、食べてみたいです!
そのほかはホテルで食べるチキンとチーズサンドの簡単な食事や、子供たちが飲むミルクシェイクなどが登場しました。