見出し画像

楽しいならそれでいい

私は楽しげにしている人を見ると、幸せな気持ちになる。

例えば、電車の中でいきなりワァーっと笑い出す学生集団。多くの大人達は「なんだアレ、うるさいなぁ」と冷ややかに見るだろう。

私は同じ光景を見ても、うるさいよりも、「あぁ楽しそうだな、楽しいんだね。そうだね、そのくらいの年頃は、些細なことも面白かったな、私も♪」と思っている。

楽しげでいる人は気持ちがいい。そういう人から元気をもらう。

笑っている姿はいい!大笑いしてる姿もいい!

共通点は、たったその一瞬であっても、みんな幸せそうだ、ということ。

それがいい。

こんなことを言うのも躊躇するほどだが、日本は「私、今、幸せです」と言いにくい国だ。

慎ましく、人に迷惑をかけない。そんな文化もあって、無意識にそう振る舞うようになっているのだろう。

自分の幸せぶりをことさら強調しないし、自分がいかに幸せかを、人に伝える方法を私たちは教わってこなかった

なぜなら、先輩たちが、そのうまい方法を知らなかったからだ。

だから、急に時代が変わって、外国からの文化、「自分好きになれ!」だの、「自信を持て!」だの「自己主張をしろ」や、「自分をアピールしてなんぼの世界」などと言われても、DNAに刻まれていないのだから、いきなりそう振る舞えない。

指導者もモデルも周りにいなかった。

実際のことを言えば、口には出さないが、かなり幸せを感じている人たちは昔からいる

みんなそれぞれよろしくやっているのだが、表には出さないように生きている。

出る杭は打たれる(←昔の人は何てコト言ったんだろう、現代人を苦しめている)のように、みんな幸せを自己主張をしないで静かに生息しているのだ。

だから、現代も、自分好きや、いかに幸せかを公言する人も少ないし、自信に満ち溢れて自己主張する人も疎まれる。あ、あのテレビでお見かけする、ローランドさんくらい突き抜けたら、みんな喜んで受け入れる。

しかしそれもテレビ仕様の一つのキャラで。エンターテインメントとして一般の人は受け入れている。実際問題、身近にいたら、違った受け入れ方をするだろう。

それが、今の世の中だ。

そんな中、私は、今楽しい。幸せと言いたい。

幼少期自分が好きから→思春期に嫌いになり→大人になるにつれ、さらに嫌いになり→30歳越えた辺りから、まぁ好きかもになり→今はまあまあ好きかもな、くらいには成れたので、幸せになれる理由がわかる。

その秘訣を言いたい。

結局、自分で人生を変えるしかない

それが自信になり、あ、自分のこと好きになっていいかも。好きかも、と思えるのだ。

世の中が暗く、つらい人には、つらい今日があり、一方、明るくて楽しくて、という人にはそういう今日が待っている。

幸せ!と言うのにハードルがあるなら、少しでも楽しげにしているだけでいい。

それで、周りは十分幸せが伝染する。

それを疎ましく思われたなら、そういう人とは波長が合わないとして、距離を置けばいい。

例え親であっても。(これは私の場合)

価値観が違う親から離れたことが、今の最初の幸せを作った。

自分が大人で、価値観が違うと思うなら、離れればいい。

それは親を否定したことにはならないし、自分の育ってきた環境を否定する話ではない。

そういう時期になった、というだけ。離れる決断に親はショックを受けるだろうが、後々、本人が楽しそうなら、親はうれしい。

やや楽しそうなことを見つけ、実行することから始めて、やがて、本当に楽しそうなら、それだけで説得されるのだ。

今の時代だからあえて言いたい。

もっと日本が、「私、幸せ!」と言える国になってほしい。

こんな国難の時代に、不謹慎だと思うなら、それは、つらい世界を望んでいるあなたの鏡。

この時代でも、幸せに生きている人はたくさんいる。

みんなもっと言っていこう、幸せなら幸せだと!




いいなと思ったら応援しよう!

まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖