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私には味方がいる、と思えるか

20代が何でつらかったんだろうと、振り返ってみて今との違いに気付いた。

「自分には味方がいる」と思えるかどうか。


20代の頃は、味方がいなかった。

もちろん、家族も友達もそばにいてくれたから孤独ではなかった。でも何となく、自分に味方はいない、という思い。

特に、社会。仕事、会社。外にいなかった。


だからよく疑っていたし、戦っていた。

自分だけががんばっているのに、理解されないと思っていた。


でも今は違う。

アドラー心理学でおなじみ、「嫌われる勇気」&「幸せになる勇気」を始め哲学者岸見一郎先生の世界にどっぷり浸かったら、確実に幸せになったのだ。

その影響で

「私には味方がいる」
というよりも、

「味方しかいない」
と信じられるようになったのだ。


何があっても、最終的には、悪いようにはしないだろう、と信じていられる。

今でも例えばウソをつかれたり、不機嫌にも振り回されるけど(笑)、それでも最終的には「みんな私の味方だ」と思える。

これがあるかないかで、かなり幸福度が違うのではないのかな

最近の例だが、病院へ行って、この先生は信頼できるだろうか、と一瞬思っても、「最終的には私に悪い結果をもたらすようなことはしないだろう」と信じられるのだ。

20代の頃は、そんなことを全く思えない人生。疑うものは疑い、私の気持ちを理解してくれる人、私の立場、思い、責任、環境を理解してくれる人なんていない、と思っていた。

でも、今は、みんなそれぞれ理解してくれている、味方だと思える。

細かく言えば、「100%理解してくれる人はいない(そこまでの人はいなくていい)けど、最終的に困ったら、みんなは私を助けてくれる」と思える。

例えば、ふと道を歩いていても、今すれ違ったこの人も、もし急に私が困ったら助けてくれるだろう、そんな風に思えるのだ。

自分が「共同体感覚」の中にいるからだろうか。

それが「他者信頼」なんだろうか。


以前に働いていた会社で、同い年の同僚(男性)が

「自分はこんなに頑張っているのに!誰も理解してくれない!」

と上司に向かって、大声で言っているのを聞いたことがあり、その時はびっくりした。

いい大人がそんなこと言うか…と(-_-;)


そうは言いつつも、ドキッとしたのは、あの主張、少し前の私だった。

他人とは思えない。戦っている苦しい顔。

つらいだろうな、孤独だろうな、自分ばっかり、って思ってるんだろうな。同じ経験をしているからこそ、今もそこで苦しむ彼に同情した。

私に味方がいると思えたきっかけは、やはりアドラー心理学の「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」であり、その著者の哲学者、岸見一郎先生との出会いが大きい。

ずっと怖くて読めなかったこの本。
何度もトライしたが、怖くて最後まで読めなかった。劇薬すぎた当時。

しかし、ふと再会したら、ものすごく良かった(笑)

読む前と比べて、幸福感ができ、生きる幸せに変わった。心と体に浸透した。

まずは" 嫌われれてもいい "という覚悟を持つようにした。
完全にはできないから努力目標だけど(笑)

そして、自分のために今ここを生きるように行動。

やがて、自然と、自分が選んだもの、環境、そこに居る他人を信じることができるようになった。

超マイナスからの、今スーパーハッピーなプラス。

だからどんな人でも、人生の受け取り方を変えれば即刻幸せになれると思っている。すべての人に、出会ってほしい価値観。

自分には味方がいる!ということ。

私にも、もちろんあなたにも!

味方がいる。


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まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖