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みんな何かの才能を受け取っている
友人と、素晴らしいピアニストについて話していた時、才能ある人のことを、「gifted(ギフテッド) な人」と言っていた。
外国の友人なので英語。
a gifted pianist ギフテッド ピアニスト。gifted person ギフテッドパーソン。
Gift 。贈り物。
ギフトの過去形、ギフテッド。
与えられた、と訳せばいいだろうか。
「Gifted(ギフテッド)」は、何か特定の分野において、人よりも優れた才能がある人のこと。
この表現、久しぶりに聞いたなぁと思った^^
日本語ではあまりこう言わないから。
才能が先天的にある。
生まれた時にすでに与えられている。
そういうニュアンスがある。
日本語ならば、「あの人、才能あるね〜」
その程度の表現だろう。
その才能の、出どころを問わないからね、日本では(笑)
先天的なのか後天的なのか。
努力が好きな国民性もあって、なおのこと“努力家“と評価したがる。
この場合、後天的な才能となる。
だから、先天的なもの、生まれながらにして、ギフテッド、なんて言わない。
そもそも、その才能を「ギフト=贈り物」なんて思ってないのかもね(笑)
ギフト。誰がくれたのか?
それは神様のこと。
神から与えられた才能。
生まれた時から神に与えられている才能。
Gifted(ギフテッド)という表現には、神様の存在を感じる。
ここには、唯一無二の神と共に生きる文化だからこそ、生まれた言葉なんだろうなと感じる。
日本も八百万(やおよろず)の神がいるが、「自分は生まれた時からGifted=与えられている存在だ」と思う人は少ない。
何でだろう。神が多すぎて、誰が与えてくれたか、わからないのか。それとも、やっぱり努力をアピールしたいのかな(笑)
じゃあ、Giftedギフテッドなのか、ギフテッドじゃないのか。
与えられているか、与えられていないか。
それで言ったら、与えられている。
みんな与えられている。
みんな、何かしらの才能を与えられている。
私はこの頃、本当にそう思う。
昔は、他人に対して厳しく、何をやっても才能がない人っているって思っていたけど(笑)、
そんなこと、ない。
どんな人にも、与えられた才能ってある。
例え、目の前の苦手な人にも、嫌いな人にも。
何かしらの才能がある。年齢も関係ない。
仮に、何もできない人でも、存在だけで、説得している。
つまり、存在だけでGifted(ギフテッド)なんだ。
生まれながら全員Gifted(ギフテッド)。
もれなくそうなんだ。
日本語で一番近い表現は、しいて言うなら、運がいい人に対して使う「あの人、持ってる」になるのか。
それで言ったら、みんな、持ってる。
みんなそうだ。
全員、与えられた才能を持つ、Gifted(ギフテッド)な存在だ。
さて。自分の才能や、良いところを5〜6個、さらっと並べられるだろうか。
並べられない場合は、謙虚な性格が前面に出過ぎているかもしれない。
時には自分を棚卸して、自分の才能を並べてみよう。
自分は与えられた存在なのだから。
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