価値観はいろいろある
価値相対主義、というのがあるらしい。
先日のオンライン講演会で聞いた、アドラー心理学でおなじみの岸見一郎先生の言葉だ。昨日、noteを書きながら、これがキーワードではないかと思い出した。
「価値相対主義」とは、ある価値観が絶対的に正しいということはない、という考えのことだ。
世の中にはいそんな考え人がいるから、ある意見があっても、その反対の人もいる。どの価値観もありうる、という主義のこと。
今の若者に多い考え方、主義なのかもしれないと思った。
私たちは、彼らと違い、生まれてすぐから、一律であれ!と育てられた。だいぶ雑な説明だな(笑)
人に迷惑をかけず、人と同じように、それが良しとずっと教育されてきて、いきなり大人になってから、個性を出せ、と求められて困った世代だ(笑)。
私より少し下の世代から、ゆとり教育!と叫ばれ、個人を尊重するようになった。
ゆとり世代から下は、もしかしたら、価値相対主義が、しっくりくるのかもしれない。
「いろんな人がいて、いろんな価値観がある、あって当然だ」と。
そんな考えを、経験を積みながら、徐々に認識していった世代と、生まれた時から、当然のように刷り込まれている世代には大きな開きがある。
それは、個人が考える力、だ。
岸見先生が「価値相対化の議論に反対」とおっしゃっていた。
もし独裁を望まないならば、虚無主義を克服して、内から立ち直らなければならない、と。
これはつまり、価値相対主義だけになってしまうと、弱い存在・判断する力を持っていない人は、自分で考えなくなってしまう。虚無。こんな悲しい人間力もないが。(まさに昨日書いたnote、後輩はこれだな…)
考えないと、上から強力な価値観が与えられた場合(=独裁者)に、従うだけになる。ということ。
くだけた言葉で言えば
「価値観は何でもあり。考えてもムダ。とりあえず強い人の言葉に従いますかー」
と頭を使わず、従うだけになる。
例えば、家では怖いお母さんに従うだけ。
職場では、独裁のリーダーに従うだけ。
そうなっちゃう前に、自分で考える人になれ、ということだ。
価値相対化の下に生きる場合は、自分で考えることが大切。というメッセージ。
独裁者に従えば、考えなくていいから楽だ。
しかしそれは、自分で考えることを放棄しているんだな。
別の人の人生を生きていることになってしまうね。
どんな時も、自分で考えること、これは大切だ。
自分の人生なんだから。