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肯定的なあきらめ
どうも、まちの哲学者です。
今回はこのようなスタイルで書きます^^
大人になって、あきらめることが多くなったように思いませんか。
"あきらめることは、良くないこと"とされる風潮がありますが、世の中には「肯定的なあきらめ」が存在するのです。
アドラー心理学の青い本「嫌われる勇気」を改めて読んでいたら、このことについて書かれていることに気が付きました。
肯定的なあきらめ
これは、問題を自分で変えられることと、変えられないことに分け、自分では変えられないものは、「考えない」「その選択肢を手放す」、ということです。
例えば、私が男性に生まれていたらよかった、と思うとします。
生まれた時の性別は簡単には変えられません。
女性として生まれた以上、今さら「私が、男性だったら良かったなぁ」と、変えられないことをあーだこーだ言っても仕方がないから、手放しましょう、ということです。
例えばこれ以外にも
「身長がもっと高かったら」
「もっと美人(イケメン)で生まれていたら」
「もっとリッチな家庭に生まれていたら」
「あと10才若かったら」
などもそうです。
今さら言っても仕方がない部分はあきらめる。
変えられないことだから、むしろこれが私だと受け入れる。
これが、肯定的なあきらめです。
本当に大人になってから、あきらめることが増えました。
身長はこれ以上伸びないし、
年齢は若返らないし、
見た目も骨格レベルで美しくならないし、
変えられないものは、あきらめました。
このあきらめは、つまり、この自分をありのまま受け入れるということなんですね。自己受容です。
この私でいいんだ、
というところに着地します。
この私でいい、『だったらこの私で、どう生きようか』です。
あきらめることが増えて、同時にとても前向きな生き方ができているように思います。
私も昔は、後ろ向きな考え方でした。だからわかります。
変えられないことに執着して、◯◯だったら、と言い続けることは簡単です。
でもそれは、本当は◯◯が良かった、という可能性の中に生き、そこにフォーカスすることで、現状を変える問題から逃げていることになります。
それでは全く進みません。
肯定的なあきらめをしましょう。
自分を受け入れ、前に進んで行きましょう。
以上です^^
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