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より良い自分になりたいけどね
不完全な自分を受け入れる勇気。
岸見一郎先生のお話の中で、私の心に刺さった言葉だ。
「嫌われる勇気」さらに「不完全である自分を受け入れる勇気」まで!!
完全に私の課題だ(-_-)
思いグセとして常に「より良い自分になりたい」と願うところがある。
私って真面目だねぇ(笑)
実際そう行動することが多い。まさに、アドラーの「優越性の追求」だ。
今の自分も肯定するけど、変化するならより良く、より高みへ。いつも向上心を持ってきた。
ところが、今日の講演の中で、岸見先生は「人の生き方として“優越性の追求”が絶対かというと必ずしもそうではない、と近年思うようになった」とおっしゃっていた。
自分に目標を設ける。で、それが達成できなかった(優越性が追求できなかった)場合、それがダメかというと、ダメではないですよ、ということ。
むしろ達成できないと受け入れることの方が自然ではないか、という新しい提案だった。
ここで「不完全な自分を受け入れる勇気」が必要になってくる。
常に、自分自身の向上を追い求めて生きてきた私にとって、重要なことだ。
人はできることと、できないことがある。
今後は、歳を重ねてできないことが増えていくだろう。
ケガや病気でやろうと思っていたことができなくなることだってある。
状況により、目標自体をあきらめる必要が出てくることもある。
すべての人にその可能性がある。
自分の目標。
掲げても達成できない。
そんなとき落ち込むのではないかと想像できる。
だからそれに対して岸見先生は、全くだめではないですよ、そのことを受け入れることの方が自然ですよ、とメッセージをくれた。
その他にも、
・他人の目線が気になる
・他者の評価が気になる
・うまく話せているか言葉に対してこだわりが強い
という相談者に対しても、同じように「不完全な自分を受け入れる勇気」について唱えていた。
簡単にできそうで、やっぱり難しい。
どうでもいい、と思っていることに関して、自分が不完全であることを受け入れるのは簡単だ。
例えば、掃除が苦手な自分=不完全な自分、は容易に受け入れられる。私にはどっちでもいいことだから。
しかし、自分がこだわっていること、は難しい。例えば仕事。そこで出る自分の不完全さを受け入れるのはすごく困難だ。失敗すれば猛省するし、成功すれば、より高みを目指すからだ。
それでも、幸福感を味わえるのは、不完全でもいいと自分を割り切る。受け入れる。そっちのやり方のようだ。
自分のこだわった部分についても不完全でいい。
このまま永遠に、不完全のままでもいい。そう思うことにする。
直面しても自分を受け入れよう。
そして、受け入れ続けていく勇気。
より良い自分になれなくたっていい、と。
割り切れば、より軽やかになって、笑顔が増えそうだ。
もしかしたら、失敗談も増えて、面白いことが増えるかもしれない。
楽しい気持ちで、不完全な自分を楽しんでみる。そう生きる。
よし。方向転換だ。
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