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プレゼントの意図
誕生日にプレゼントをくれた友人に、唐突にお菓子を贈ってみた。
お礼の意味もあるが、それよりも「ただただ元気になってほしい」その思いからだった。
深い悩みの中にいる友人が、元気だろうか。元気にしていてほしい。
そして、このプレゼントで元気になってくれればいい。
そういう純粋な思いから。
結果は(たぶん)大成功。「ありがとう」のメッセージと共に、喜びの気持ちが伝わってきて、贈って良かったと思った。
プレゼントの意図は、あげる側の自己満足なのかもしれないけど、こうやって思いを込めて贈るって、いいよね、と感じた出来事だった。
・プレゼントの基本ってこうよね
私はプレゼントをおねだりした経験がないから、その手の話はできない(笑)
ここでいうプレゼントは、自然発生的な贈り物の話だ。
プレゼントは、相手が喜んでくれたらいいな♪ という純粋な愛から出発している。
だから、渡した相手が喜んでくれれば、目的達成。プレゼントのゴールと思っている。
相手が喜べばOK、なのだから。
以前読んだ本に、「プレゼントはもらうことが一番大切」と書いてあった。何をもらうか中身よりも、もらうこと、受け取ることが、ゴールなんだと。
私もこの意見には激しく同意。
だから私が贈ったものを、その後に人にあげても、使わなくても、食べなくても、極論で捨ててくれても、全然構わないと思っている。
私のプレゼントをどうするかは、相手の課題だし。(アドラー心理学より)
それに相手が受け取ってくれた時に、プレゼントの目的を達成しているのだから問題ない。
・プレゼントの意図
しかし、ここの判断は人によるところだろう。
私があげた物は、絶対に食べてね、使ってね、捨てないでねという人もいるだろう。
さらにプレゼント→お礼をお返し、まででセットと思っている人もいるだろう。
律義にお返しをいただくと、私は返って申し訳なくなる。気を遣わせたかな?と思うからだ。
だから、お返しなんかいらないし、同時に「お返しがあって当然」の人とは考えが合わない。私が”贈りたい!”という気持ちになる時まで、行動しないからだ。
・相手の課題
自分のあげたプレゼントの行く末をコントロールしようとする人。それは自分の意図を押し付け、これはアドラーでいうところの、他者の課題に土足で踏み込んでいると言えるだろう。
お返しが当然と思う人も、窮屈ではないかな。相手がどうするかは、相手の課題。
相手の課題を、自分と切り離そう。
私は、いただいたプレゼントで食べ物なら旬のうちに食べるし、モノは飾って、そこからしばらく日々感謝の祈りを捧げている。
この行動が相手に伝わらなくても、感謝は伝わっていると思っている。必ず言葉で伝えているから(^-^)
プレゼントは相手の愛を感じるからうれしい。そこにありがとうで答える。
この原点を忘れないように、自然発生的な贈り物の習慣は、続けていきたい。
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