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自分を守れなかった後悔

自分の嫌な癖が発動しました。
これは私の心の問題だと思うので、掘り下げます。


〇質問に答えすぎる

今回発動した「直したい」と思っている自分の嫌な癖、
それは【他人からの質問に答えすぎる】ということです。

自分がしたことに、ここまで凹むなんて久しぶりです。
3 年前、こんなnoteを書きました。

答えたくない質問。嫌な質問。

それらに「その質問には答えない」と言いたい。(できれば、その質問は嫌だと言いたい)

未だにまだ変われていません。
3年前どころか、ずっとずっと昔からそうだった…今回も、うまくかわすことができませんでした。


〇自分を守れなかった経緯

仕事仲間とお酒を飲みました。

特に飲みの席になると、徐々にざっくばらんになり、失礼な質問も登場します。
今回は、それでした。

深い(立ち入った)質問になり、自分の生活について、プライベートのことを、色々聞かれました。

ハイ!ここで “聞かれた質問にすべて答える“ 悪い癖が発動。

結果、全部の質問に答えてしまいました。
多少酔っていたのもあります。

その後、自己嫌悪と、損した感情…(自分ばっかり正直に答えていた…)

これに陥る時はだいたい、さほど仲良くない相手です。

だから、そこまでする必要がなかったのに、、、
自分を守れませんでした!


〇なぜそうするのか理由を考える

なぜ、聞かれた質問にすべて答えてしまうのか。

ここに私の問題があります。

主に2つ。

①馬鹿正直、素直、さらに要領が良くないという特性。
 →質問には率直に答えるもの、と思いすぎている

②回答を拒否して、楽しい雰囲気を壊したくないと思っている自分がいる
 →つまり、嫌われたくないと思っている

特に後者は、改善しなければいけません。

仲良しでもない、仕事程度の付き合いしかない人たち。
そんな程度であっても、今この目の前にいる人に嫌われたくないという。

嫌われる勇気がまだまだ、全然備わっていないのです。

目の前にいる人に嫌われると、何が失われるんでしょうね。
明日から仕事がやりづらなくなる?
それがそんなに損失なんでしょうか。

自分を傷つけてまで、何を私は守っているんでしょう。


〇嫌われたっていい

ここで改めて「嫌われる勇気」を胸に刻もうと思います。

アドラー心理学の第一人者で、哲学者の岸見一郎先生は、「他者を気にしすぎて生きづらい人へ、多少嫌われたっていいんですよ」というメッセージを込めて『嫌われる勇気』を書いたとおっしゃっていました。

「そもそも他人から嫌われてもいいと思っている人は、この本を読んでいない」とも。

私がこの本をバイブルのようにしているのは、嫌われる勇気が十分に備わっていないからだと自覚しています。

多少嫌われたっていい。
質問に答えないくらいで、嫌われるなら、上等。
そのくらいのつもりで。

この件は、自分の大きな課題だと思うので、しっかり向き合っていこうと思います。



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まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖