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自分は劣っていてもいい

不完全な自分を受け入れる勇気。

「不完全である自分を受け入れましょう」と、

アドラー心理学「嫌われる勇気」でおなじみの岸見一郎先生が提唱していた。

上を目指し過ぎて「違う!自分はこんなもんじゃない」と常に思っていると、

現在地の自分は受け入れがたい。

しかしながら、受け入れるところから、本当の意味で前に進める。

最近そんなことを強く思う。

不完全な自分を受け入れた後の人生は、晴れやかだ。


先日、髪の毛をバッサリ切った。

ショートヘアからさらなるショート。

美容師さんは、もっと切るんですか?と聞いてきた。

その美容師さんは初めてお会いした人だった。

穏やかそうな男性。推定年齢ほぼ同世代。

お互いの髪のコンプレックスについての話になった。

私は髪が固いこと、超ストレート。そして毛量が多いこと。

これらが長年コンプレックスだった。

そして、その美容師さんは、驚くべきことに、私以上に、コンプレックスが強かったようだ。

小さい頃から、ずっと。

頭の形が悪く、特に後頭部が絶壁であること。

髪質についても、とても悩んでいたと話してくれた。

「だからずっと、自分の頭の形や、髪の毛について考えてきました。」

わかる。

コンプレックスに思うから、考え続ける。

「いかに絶壁を隠せるか、あれこれ研究して、次第に髪型に興味を持つようになりました」

「だからこそ、今の美容師と言う仕事についたのかもしれません。」

へーすごいなぁと私は感心してしまった。

私は自分の毛量を悩みつつも、良く見せる研究もしなかったし、髪型も詳しくならなかった。

その美容師さんにとって、その悩みがなかったら、今の職業にはついていない。

そこに驚くと、

「えーまぁそういうことですね」と苦笑いした。

彼の人生を考えると、コンプレックスがなかったら、今の幸福はありえないのだ。

少なくとも彼の今は幸せそうに見えた。

私はそこに感動した。

劣等感やコンプレックス…

そういうものはないほうが良いとされている。

しかしあって良いと思う。

このように、素晴らしい未来に導かれることもある。

さらに、痛みを知ってるから、他の人の痛みを感じることができるという良さもある。

だから自分は劣っていたっていい。

アドラー心理学の「嫌われる勇気」には、「劣等感は、主観的な思い込み」と書かれている。

自分が劣っていると感じている部分は、もしかしたら自分だけが思っていることであって、他の人から見たら、そうではないことがあるという話。

むしろそういうことの方が世の中には多いのかもしれない。

だから、劣等感は、思い込みだけで、勝手にストレスや未来を引き寄せているかもしれないが、それでもいいんじゃないかと思う。

自分は劣っている部分がある。

それでもいいと受け入れる。割り切る。

「不完全な自分を受け入れる」ということは、そういうことだ。

自分は劣っていたっていい。

みんなそうなのだから。


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まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖