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他者に介入しすぎない方がいい
この頃の天気は、天気予報が当たらない。
たった1日でも当たらない。
降らないと言っていた雨が降ったり、午後から止むと言っていた雨が、一日中降っていたり。
「〇〇地方」とまとめられた天気予報だと、雨が多くて、変わりやすいこの時期では、場所ごとに天気が違いすぎるのだろう。
ふと、このくらいの天気になると思い出すことがある。
よく親に「今日は雨が降るから、傘を持っていきなさい!」と言われていたことだ。
うちの親は真面目で、口出しが多かった。
子供を心配してのことだろうけども、私はそれが嫌だった。
特に嫌だったのが、「傘」と「服装」について。
何でいちいち言われなきゃいけないのかと、
高校生やその後、大人になって、干渉されるのはとても気に障る。
「今日は天気が悪くなるから、傘を持っていきなさい」
「この時期にコートは暑いでしょ」
「その格好じゃ寒いから風邪ひくよ」
「何でそんなに薄着なの」
どうして、こんなに小さいことにも口を出してくるのだろう。イライラすることもあった。
雨に降られれば、自分で学ぶし、
服装で失敗すれば、自分で気を付ける。そう思っていた。
何度か伝えても、口出しは止まらなかった。
アドラー心理学の「課題の分離」
「嫌われる勇気」にも書いてあるが、あらゆる対人関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むこと、によって引き起こされる。
これに出会った時に、なぜ不快だったのかがわかった。
私の課題に土足で踏み込んでいたから。
「傘」「服装」ごときで” 土足 "は言い過ぎだろか(笑)。
思春期、そして大人になった自分には、「傘」も「服装」も土足で踏み込まれたようで、気分が悪かった。
「傘を持っていく」ことは、私の課題で、親の課題ではない。
服装についても同じ。私の課題で、親の課題ではない。
誰が最終的にその責任を取るのか。それが私なのだ。
それなのに、意志決定までも介入してきて、本当に嫌だった。
親からしてみたら「そのスカート短い」の延長線上に、「その服装では寒い」または「暑い」、「場にふさわしくない」「化粧が派手」「口紅がおかしい」などと言ってきたのだと思うけど、
こちらからしてみれば、これから出掛けるというウキウキした楽しい気分の時に、出鼻をくじかれ「うるさいなー」と、
「何で、自分で決めさせてくれないのか」と思っていた。
「自分で学習するから」と何度思ったことか。
こんなわけで嫌だったのだ。
すべてのことについて、
他者に介入しすぎない方がいい。
親子であっても。
他者の課題は切り離す。
これって大事なことだ。
失敗はさせたらいい。その方が、本人のためになる。
身近な人ほど「課題の分離」をしていこう。土足で踏み込みやすいから。
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