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住めば都(みやこ)
今年の梅雨は、しつこい。
毎日雨が降っている上に、さらに、今回の大雨。特に九州を中心とした被害が甚大でとても心配だ。
他人事に思えなくて、ニュースを見ているのもつらくなる時がある。
彼らのことを自分のことのように思うことが、アドラーが提唱する「共同体感覚」なのだろうか。
今は祈るしかできないけれども、共同体感覚を感じながら、雨が早く止むことをとにかく祈っている。
「住めば都(みやこ)」ということわざがある。
どんな所でも、住んでいると慣れて、だんだん居心地がいい場所になるという意味。
実家にいる頃は、ずっと思っていた。
「住めば都、じゃないんだけどなー」と
何年経っても好きになれない。好きじゃない。
生まれ育った町は、そんなに居心地が良くなくて「都」として認めにくかった。
さらにそれ以上に、生まれた家=実家がある場所自体が好きになれなかった。
みんな「住めば都」って言うけど、住んでも都にならない時もある。
振り返れば、ごく普通の家庭だったし、仲が悪い家族でもなかった。
それでも、私にとって、実家のある場所は、どれだけ長く生活しても、都ではなかった。
家族が理由で、都にならないのではなく、ただただ " しっくりこない "” 私の都ではない " という感覚が、ずっとあった。
だから「住めば都」に違和感があった。
「私のように、住んでも都にならない人もいる」
ところが。
今住んでいるところは、その真逆。
間違いなく私の「都」になったのだ。
まさに「住めば都」。やった!現世で、住めば都を実感できた!
現在の住まいから、時々、故郷に帰ると、嫌いじゃないけど、しっくりこない感を思い出し、実家では「やっぱりここは都じゃないんだよな」と実感する。
この違いは何なのか。
住んでいる土地への愛着、思い。そういう差なんだろうか。それとも、生き方の差、自分の成熟度、その差なんだろうか。
曖昧で、よくわからないまま、私は今、自分の都に住んでいる。
もし、自分の都が、自然災害にあったら悲しくなるだろう。
「住めば都」が何かわかった今、自分の都がいつもの形でなくなった時を想像したら、胸が苦しくなった。
今回の大雨は、現在も降り続いており、被害が大きい。
亡くなった方もいて、住んでいる都を失った人々が大勢いる。
共感して、とてもつらい。今までになかったことだが、
「住めば都」を実感して、都を失う怖さがわかった。
共同体感覚として私たちにできることは何だろう。
とにかくこの雨が止むことを、祈っています。
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