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yokoichi
哲学がもたらす光
それは希望であると、断言できる。
先日の講演会で岸見先生はこうおっしゃった。
哲学者の三木清さんの言葉。
希望と期待を区別する
ん?どういうことなのか、と一瞬思った。
希望と期待が違うのは知ってる。普通に使い分けているし。
だけど、希望と期待をどう分けて考える?という疑問。
その答えはこうだった。
希望は失われる事は無い。
もし失われたとしたらそれは希望ではなく期待だということ。
例えばケガや病気をして、将来やろうと思っていたことが、出来なくなってしまった場合。
これはつらい状況だ。
それでも希望は失ったわけじゃないという。
これは、将来への希望を失ったわけではなく、「将来やろう、できるだろう」と思っていた期待を失ったに過ぎないということだった。
だから、希望はある。
希望がなくなったとしたら、それは希望ではなく、最初から「期待だった」という、お話。
当初描いていた通りにならなくても、希望はある。
「どんな状況でも、希望がある」
「希望が失われることは絶対にない」
という哲学者からの強い断定の言葉は、とても勇気づけられる。
いかに生きるか、を追究した学問「哲学」が灯すことができる最も哲学らしい光。
そう感じた。
希望の光。
哲学が、光をくれる。
仮に仕事を失っても。
病にかかったとしても。
希望はある。
さらに、人の生死。
大切な人を失ったとしても、
自分が死にゆくと知ったとしても、
希望はある。
未来はわからなくても、
今この瞬間に希望を持つことはできる。という教え。
仮に未来がなくても、今ここに絶望する必要は1ミリもない、ということ。
哲学の光で、希望を持つ。
期待ではないから、失われることはない。
形を変えて、希望はあり続ける。
状況がどう変わろうと、自分がその希望の存在に気付けるかどうかが、差になるだろう。
私はどんな状況であっても、希望を持ち続けるよ。
哲学がもたらす光だから☆
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