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失くす痛みを伝える
失くす痛みがわからない人には、説明しても無駄なのか。
小説を読んでいたら、こんなくだりが出てきた。
「彼は、何かを失ったことがない。」
「失った経験のない人間に向かって、失われたものの説明をすることは不可能だ」
「だから、僕はあきらめた」
あきらめるんかい!とツッコむ私(笑)。
何かを失くす痛みを知らない人。
そういう人もいるだろう。
そんな人に、自分の辛さをいくら説明しても、自分の痛みは分かってもらえない。
だから、説明するのをやーめた、という場面。
何だか心がザワザワした。
つまり、分かってもらえるわけがないから、最初から説明しない、だと。
その痛みの経験がなくて、知らないから、無駄なんだと。
本当にそうなのか?
自分に置き換えて考えてみれば、多少そうなのかもしれないとも思う。
精神的に辛くなるような喪失感。
例えば、私はまだ親を失った経験もしていないし、ペットを失った経験もない。
聴力を失った経験をしていないし、声を失った経験もしていない。
だから、それらを実際に失った人たちの本当の辛さ、痛みは、わからないのかもしれない。
理解して、悲しみを共に感じることはできるかもしれないが、本人と全く同じ気持ちには、なれないのかもしれない。
さらに、その気持ちを維持し続ける事は難しい。
それが、小説の主人公が、語るのをやめた理由なのだろう。
「どうせ説明しても、伝わるわけがない」と言う思い。
この場合どちらの気持ちもわかる。
わかってもらえないなら、話すだけ無駄だとも思うし、聞く側の場合、一旦理解をするが、完全に同じ気持ちにはなれないし、ずっと共感し続ける事もできない。
なぜなら失ってないから。
経験がないから、と言ってしまったらそれまでだ。
心がザワザワしたのはそこだった。
わかりあえないから、口にしない。
私たちは、そこで会話を止めていいのだろうか?
いや、止めるべきじゃない。
小説の主人公という架空の人物に、ひと言伝えたくなった(笑)
会話を止めないで。
説明は不可能じゃないよ。
失くす痛みを知らなくても、言葉を尽くせば何かは伝わる。
失った人たちの辛い気持ちと、全く同じ気持ちにはなれないかもしれないけど、理解することができる。
どれほど辛いことなのか。
そうだったんだ、それは辛いね。
辛かったね。
大変だったね。
こんな言葉で、救われることがある。
だから、失った経験のない人に、失われたものの説明をすることは不可能ではないと思う。
家族を失くした悲しみ
仕事を失くした悲しみ
家を失くした悲しみ
自分の健康や、大切なものを失くした悲しみ。
どれだけ大変なことなのか、想像してその気持ちを味わうことはできる。
だから話を止めないで。
わかってもらえなくても、辛いのなら話せば良い。
最初から「不可能だ」と切り捨ててしまうのは、もったいない。
決して不可能ではない、と思うから。
少なくとも私はそうだから。
話してみてほしい。
会話を止めないで。
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