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毎年変わる、毎日毎日変わる、いつみても見応えがあるとってもすてきな風景

昭和52年、ということは…1977年、ちょうど40年住んでます。私の好きな場所…、毎日毎日目に入る、うちの2階から見える北側の風景です。とくに夕暮れ時、ちょうど灯りがともる頃が好きです。
わが家は玄関がちょっと吹き抜けになっていて、2階に上がると、その吹き抜けの窓から街が見渡せる。そこからバス通りをはさんで北側の住宅街を見ると、南斜面が段々になっていて、きれいな家がたくさん建っています。夕方6時半ぐらいから7時頃になると、どんどん灯りがついていってすごくきれいなんですね。だから私、いつも階段上がって2階の自分の部屋に行くときは、なんとなくフッと立ち止まって外を見て、あ、今日はどうかな、今日はどんなかなって眺めるんです。いっときは、あー、マンションが建ってきたなって見ていました。昔はもうぜんぜんぜんぜん、マンションもなにもなかったわけで真っ暗闇だったんですよ。ホントに真っ暗闇だったその丘の上にどんどんどんどんマンションが建って。一番最初にできたマンションはどれだったかな。それからどんどん数が増えて、5、6棟以上あるわね、今は。
美中の校舎も全部見渡せるんだけど、1月から3月までは教室の照明がすごく明るくともっている日が続いて、きっと先生も進学とか卒業生を送る準備とかでお忙しいのかなぁって…。暗くなるともうどのお家だかわからないけれど、たぶんあのあたりかなというところに、少し知っている方のお家があって、いつも遅くまで灯りがついていて、中学生の息子さんが勉強してるのかな、とか、ご主人のお帰りが遅いっておっしゃってたからかな、とか。そしてクリスマスの頃になると、赤やらグリーンやらの灯りが点点点点、キラキラキラキラ。マンションの窓にもキラキラキラキラ。毎年変わる、毎日毎日変わる。いつみても見応えがある。とってもすてきな風景です。

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わが家が越して来た頃は、東急もヨーカドーもなんにもなくって、駅前はもうほんとに広場だった。東光ストア? ええ、覚えてます。三丁目の交差点のところにあったスーパー。だけどヨーカドーができる前日に突然閉店しちゃったの。ほんとにもう、びっくりしてしまいました。だけど東光ストアにはあんまり行かなかった…すごく小さいスーパーだったんです。今はマンションになってしまいましたが、サミットストアにはよく歩いて行きました。

昭和51年に私たちが家を建て始めた頃は、うちが最後の一軒だっていわれるくらい、もう周りは全部家が建っていて、真ん中がぽこんと空いているという感じでした。今では家の周りはもう全部方建て替えられて、住んでる方は代が替わったり、土地が三区画に分けられて売り出されてたり、街はどんどん変わっています。

たしか、私たちが越して来て2年目に中部自治会館が建ったと思います。ちょうど班長にあたっていたので、こまごました仕事がたくさんありました。たとえば、中山の電話局に電話番号をいただきに行ったり。ですから、いまでも中部自治会館の電話番号はソラで言えますよ。電話番号を取りに行くなんていうことは今の若い方には想像もできないことのようですけど。中部自治会館のオープン記念に、絵画展を企画したり、源氏物語の読書会を立ち上げたりもしました。覚えていらっしゃる方が今ではどのくらいいらっしゃるかしら…。
40年もこの街に住んでいますので、街路樹の1本1本にも、夕方の街の灯りひとつひとつにも愛着を感じます。今はまだ行き止まりになっている川崎へ抜ける道、あの道が住宅街の真ん中を通ってしまうととても危ないと思うんですよね。そんな道がこの静かな美しい街にできないように、と祈っています。

鮫島百枝_note

インタビュー:2017年 夏

このおはなしは2018年No.005号に収録されています。冊子をご希望のかたはご連絡ください。冊子は無料、送料180円でお送りします(5冊まで送料は同じ)。「街のはなし」プロジェクトを、スキやサポート,snsのフォローなどで応援していただけましたら大変励みになります!どうぞよろしくお願いします。

企画・文・写真: 谷山恭子
編集・校正: 伏見学・街のはなし実行委員会
発刊:街のはなし実行委員会

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