魔法使いになりたかった女の子が作文の先生になった話
ことのはじまりは、わたしが大好きな魔法少女シリーズ(アニメ)「魔法のステージ ファンシーララ」をおうちでかけ流していたときのこと。オープニングのとき、娘が言いました。
娘「うわ、なんか2000年代~~って感じ」
私「……やけにくわしいなぁ。1998年だけど」
娘「だって、ヒロインなぜか走ってるし、題名が空に浮かぶしww」
私「ちょっとまて令和JK、昔のアニメの解像度高すぎじゃない?w 」
オープニングの動画を貼りたいけど、公式じゃないので我慢。
オープニングって、なんか憧れません? わたしなんて小学生の頃、登下校のとき突然走り出すキッズでしたけど、そういうときの脳内BGMはいつも大好きなアニメのオープニング。走るっているか、駆けるっていうか、水たまりや段差を飛び越えるというか。物語に向かっていくわけ。手に入れた不思議な力で魔法みたいに世界が一変するのよ。
↓ 元男児の脳内も面白かった……
そんなこんなで、魔法少女アニメに憧れながら育ったまちか先生。わたしもいつか魔法が使えるようになりたいと願っていました。(あ、このnote記事、全編この調子で続きますのでご注意ください……)
だからもう、本屋さんや図書館で魔法に関する本を探して読みました。おこづかいで買った本を真似して、ひとりで魔女の修行(?)をやったりしていました。占いとおまじないの雑誌「プチバースディ」「MyBirthday」も愛読してたんですよ!今は「マイカレンダー」としてWEBで読めるんですね。
そんなわたしに転機が訪れたのは、中3のとき。進路希望表を書いて提出しなければいけないのに、記入欄には志望校しかなくて。うーん、困った。
魔女の学校ってどこにあるんだろう……。
当時はネットとかないものの、自分なりに調べたみたら、魔法使いを養成するような学校は日本にはなくて、海外にもフィクションの世界で見かけるような魔法学校はそもそもなくて。魔術は口伝で受け継がれていくので小規模の魔女集団が点在するだけだった説に行き当たります。現代では基本は弟子入り。そうなんだー、と知りました。
「本当は魔法使いになりたいんですけど、日本には魔法学校がないので高校に行こうと思います」
中3の担任の先生は爆笑しながら、わたしの親に「良かったですね。進学する気になったようで」と言ってました。しかしながらわたしの根っこは何も変わらないようで、3年後、高3での進路選びでは「大学は哲学科にしまーす!」と高らかに宣言。大学に入ってからは、ゼミで錬金術や夢分析にウキウキと取り組んでいたのでした。楽しかったあああああ。(ちなみに卒論テーマはパーソナリティ障害です)
魔法って何だと思いますか。
哲学では、世界の理を解き明かそうとします。自分(人間)と世界の関係を軸に思索を深めるところから始まりました。それで、ここから先はわたしが個人的に考えていることなのですが、自分が見ている世界と他人が見ている世界が同じじゃないってよくあるじゃないですか。でも、ちょっとしたきっかけで、……それは時に一瞬の出来事で……世界が違って見えることがある。わたしはそういうものを魔法と呼ぶようになりました。
人は見たいように世界を見ています。
何か困ったことがあったり、先が見えなくて悩んだり、一人じゃどうしようもなかったり、自分のことが自分じゃ分からなかったり。ものの見方が行き詰まることって誰にでもある。そういうときに、世界を一変してくれる人、それが魔法使いなんじゃないかなって。
「わたしが見ている世界」を「あなたにも見えるようにする」
「見え方」が変わると「あなたが見ている世界」も変わる
呪文や道具を使わなくても、実は身近なところに魔法は存在すると思うのです。これは、他人を意のままに操るとはまったく別のもの。だよね?
先日、〆野さんが書いてくださったnote記事を拝読して、わたしは魔法使いになりたかった自分のことを思い出しました。
教育系noterの〆野さんは、小論文などに関するレクチャー記事を書かれています。論理的な方法論と明快な説明。いつも記事を拝見しながら感じていたことを、作文関連の記事のなかでご紹介しました。それに対するアンサー記事がこちらだったのです✨
ご紹介ありがとうございます。〆野さんもまさかこんな流れで引用されるとは思ってもみなかったでしょう……。いつもゆるふわでほんとすみません。そういうわけで、今回の記事の着想を得たのは〆野さんの記事だったんですね。わたしこそ、〆野さんの添削指導を受ける生徒さん達に「それ一生役に立つアドバイスだから心にメモっとこーね♡」って言いたいくらい。
「本質を突け!」は哲学科の教授に叩き込まれた教えです。人間は言葉も行動も流動的だが、その人の中に変わらずある価値観がその人らしさであり、その人が生きている理由なのだから、と。きっとそれは大人も子どもも同じですよね。
指導者が子どもをサポートするとき、最初に行うのは子ども達がどこで困っているのか、何につまずいているのか、見つけることです。観察を通してそれを知ることを「アセスメント」といったりしますよね。
なかでも、わたしはいいところを見つけるのが大得意!
わたしが大大大好きな岡野史佳さん♡ 彼女の作品に、ヴィクトリア期のイギリスを舞台にしたファンタジー「ハッピー・トーク」があります。魔法使いの女の子デイジーが引き起こすマジカル・ミステリー。あちこちにマザーグースの歌詞やモチーフが散りばめられてあって、ベイカー・ストリート・イレギュラーズみたいな子ども達との掛け合いはまるでミュージカル。
そんなデイジーが魔法について語るシーンがあります。
ね。見つけるって、魔法みたいでしょう?
作文に取り組む子ども達との時間には、ミュージカルのようなライブ感があります。見上げる表情、鉛筆が止まった瞬間、目を伏せたとき、一文に乗せられた気持ち、はみでた文字、語尾のセレクト、文と文の連なり、込められた変化、託したい思い……。「書けたよ!」って見せてくれる子ども達の作文を読むと、ふしぎなくらいその子の素敵な部分が浮かび上がって見えるのです。
だからわたしは、それを言葉にして伝えます。
よく書けているところがなぜよく書けているのかをベースに、ひとりひとりの持ち味や強みを説明します。正答を説明するんじゃなくて、語りかける。自分のことをめちゃめちゃ褒められるので、たいていの子は最初ものすごく戸惑います。面食らうというか。シャワーのように褒め言葉を浴びるから。
でもね、雰囲気や勢いで褒めてもあんまり意味はなくって。大切なのは、本人がそれを自分の持ち味や強みだと自覚して、使いこなせるようになること。困りごとのフォローと両輪で進めれば、あっという間に子どもは変ります。そこまで下支えするのが作文の先生の仕事だと思っているの。
この記事の前半でこう言いました。
「わたしが見ている世界」を「あなたにも見えるようにする」
「見え方」が変わると「あなたが見ている世界」も変わる
まちか先生に見えているすてきなあなたを、あなたにも見えるようにするね! これが、わたしがみんなにかける魔法です♡
なーんて、元はと言えば、作文教室に通う生徒さんが数か月で劇的に変化する様子から、保護者さん達が「まちか先生、うちの子に何の魔法を使ったんですか?」とつっこむところから言われるようになった、まちか先生の魔法。いつのまにか、教材は「魔法のプリント」、声かけは「魔法の質問」と言われるようになりました。
そうそう、わたしのnoteで記事の購入やサポートをしてくださった方が見られる「お礼のメッセージ」も、5種類の魔法の言葉がランダムで表示されるように設定しています(*^-^*)
魔法使いになれなかった女の子が、魔法って何だろうって考え続けた結果、呪文のかわりに言葉を操って作文の先生をやってますというお話でした。
あとがき
わたしのnote記事は、わたしの子ども達の協力で成り立っているのですが、今回もたくさんお世話になりました。記事のサムネイルに使った画像は、わたしがラクガキした線画を小学生娘がデジタル処理してくれました♡ LINEスタンプに続き、こちらもありがとうね!
わたしの線画は、「ハッピー・トーク」1巻119ページのデイジーを模写したものです♡ デジタル化は基本的に娘にお任せなんだけど、今回は「魔法使い」って情報だけ伝えたんだ。夜空も嬉しかったけど、月明かりが逆光になってるところがめちゃめちゃお気に入りです!センスある~!
追記1
わたしのnoteのファクトチェック係のいっちゃん(高校生)、今回の記事をチェックしながら、「ああああああ~!ついに書いたか!ママのアホさ加減が知れ渡ったら仕事が来なくなるんじゃないの~!?」と、異様に心配されてます。なんかごめんよ、こんな母で……。
追記2
でもほら、面白い記事を書いてる人はnoteにたくさんいるよ!?「バカな人が面白いとは限らんのよ」グサッグサッ。わたしはただのバカ……。