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分身の彼女

ここに書くことを、彼女が望むかどうかわからない。けれど、彼女のことを置いて第七官界には近づけないという気が、何となくするのだ。

私の分身であるところの彼女と出会ったのは、大学2年の頃。何がきっかけで話し始めたのだったか、私は忘れてしまった。同じ日本文学専攻で、私たちは、いつもだいたい1人だった。

好きな作家が、その中でも好きな作品が、全く同じで驚いた。世の中に対して思うこと、生きづらさの種類、産む性としての自分のこと、そして「書くこと」を志向していること。好みの鞄、星座、血液型…もっとあったかもしれない。

こんな人が世の中にいるんだ、と思ってびっくりした。家族構成や家庭環境は全く違っていたけれど、その「違い」がかろうじて、私たちが別々の人間であることを示唆していた。

第二外国語のクラスでも同じで、よく授業の後昼ごはんを一緒に食べながら、禅問答のような会話を繰り返した。

化粧気のない顔で、視線を手元に落としたまま、ためらいがちに笑う。自分で作ってきたおにぎりに手を伸ばす、ほっそりした小さな手を、よく覚えている。

私には『第七官界彷徨』に出てくる隣家の女の子が、どうにもこの女友達にダブってしまうのだった。

大学を卒業してからも、時々文通をした。文通というと驚く人も結構多いが、LINEやメールではなく手紙が適した友達、というものが私の中には存在する。緩やかな、かといって薄いわけでもないつながり方。お互いにそれを望んでいる場合に限るが、文通のやり取りは成立する。

彼女との文通の中で、私は自分の分身の近況を知った。限りなく似ているけれど違う、パラレルワールドを生きる彼女の人生を。

先日、『第七官界彷徨』の舞台化を考えていると手紙に書いたら、前に一度読んだことがあるけれど忘れてしまったからもう一度読む、との返事がきた。やっぱりさすがだなぁ…と思わずにやりとした。

彼女は私よりよほど遠くまで、本の海を泳いでいる。彼女のすべてを知ることができないことは、分身としては悔しいけれど、社会的人間としてはこれでいいのだ。だから私は、彼女の好きな本をすべては追わない。パラレルワールドで元気にやっていることを願う。

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