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負けの美学~「老子」から学ぶ、落ちこぼれが人生を制す思想術

皆さん、こんにちは。

今日はいかがお過ごしですか。私は、雨で外にはいかず、家でまったり本を読んで過ごしていました^^

さて、孫子や荘子、孔子などに並ぶ○○子シリーズ。今日は「老子」をとりあげたいと思います^^

2100年以上前、中国の春秋戦国時代に生きた人物が記した「リーダーに求められる思考」についての書の一つが「老子」です。実は作者は不明。老丹(ろうたん)という人物が有力と言われています。

ちなみに、老子と同じ時代には、孔子(儒教)がおりますが、全ての人間が計画的に理想を追いかけるのではなく、皆が同じことを信じ、行動する必要はないという「ありのままを生きる」ことを追及したのが老子思想です。(孔子は、また別の機会にとりあげます☆)

落ちこぼれのための書などと揶揄されることもありますが、勝ちを求めすぎることは、むしろ得ではなく、自然に任せて生きることこそが、実は利を得るという。なんとも背中を押される本です。

自然体で生きれば良いという「無理をしない生き方」を感じることができる、失意を感じたときにこそ読みたい本の一つです^^。

「無為自然(水の流れのように自然にまかせて生きる)」~恥ずかしい生き方などない。どんな人生も自信をもって生きていこう。

人は、同じことを見ても、同じように感じることはなく、それぞれの人がそれぞれの感性に従って生きています。社会生活を送らざるを得ない現代社会で、「これこそ理想の生き方」や「こうすべき」という一般理論は、正しくはないかもしれないと説いています。

「この生き方は恥ずかしい」、「この職業は恥ずかしい」など、一般理論とかけ離れた生活を余儀なくされたり、いわゆる道を一度外してしまい劣等感を感じてしまいがちですが、「自分にとっては必要な経験であった」とポジティブに受け止め、そこから自分が何ができるか、自分だけの人生に目を向けていければ良いということのようです。

何もしないことが良い~作為や意図で人生をがんじがらめにしないでおこう

人は、自分の理想の生き方を無意識に決めて、それに向かい、自分の現実に目を向けずに走りだす傾向があります。しかし、その欲望は尽きることがなく、ついには限界を感じるようになると老子は説いています。

作為や意図で人生の全てを制することはできず、「何もしないことを為す」という姿勢も同時に持つことが大事ということのようです。

今、もし次に進めずに、動けない自分に紋々としている人がいれば、「何もないことを為している」。今はそのような時期だと肯定してみましょう^^

引用:達成感、顕示欲、嫉妬心は生きるうえで無用の長物である。無為の生き方が人間本来のあるべき姿である。赤子は、無為に生きており、人間の原点である。赤子は一人では生きていけないが、その自然のありのままの姿から、周囲の心に癒しを与え、自然と協力を得ることができる。

役に立たないからこそ、役に立つのだ~お金を稼げるかどうかではない。

現代社会では、「役に立つ人間かどうか」、「お金を稼げる人かどうか」、人間の価値を定める一つの思想になっている気がします。ただ、老子は、一方で役に立たないものも、視野を広げてみれば役に立つものだと説いています。

引用:役立たずの木(船にも資材にもならない)と呼ばれるものがあり、人々から役立たずの木とののしられていた。しかし、役立たずの木だからこそ、切られることがなく大木になった。その大木は、後々、人々の暑さや寒さをしのぎ、休息を与える木となった。

今は、特に「お金を稼げる人が偉い」という風潮が色濃いと感じています。でも、たとえお金を稼ぐ力があまりなくとも、母として子供を愛することや、親の介護を一生懸命する人、思想を深める人、色々な人がいなければ、世の中は回りませんよね。また、今役に立つ人でなくとも、後で役に立つ人なのかもしれませんよね。

昔の思想家は、マルクスなどもそうですが、いわゆるフリーターでした。パトロンからお金をもらい、生活をしていたのです。

私も再受験で仕事を辞めていた時期は、「お金を稼げない自分はなんてダメなんだ」と思っていましたが、今は研修医として少しは人の役に立つことができていると感じる時もあります。

いかがでしたか。老子の思想は、統治論など、まだまだ深堀したいことも多いですが、それはまた別の機会に共有しますね☆^^

老子の言葉に背中を押されて、自然に身を任せて生きていきましょう☆

では、おやすみなさい^^









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Psycho-Lab@Singapore
嬉しいです^^ 美味しいコーヒーと一緒に今後の医療談義をしたいなと思います。