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私の考える偽善 <町医者アーカイブス>

僕は偽善者である。


間違いない。


というわけで、そんな偽善者の僕が、今回、僕なりの偽善について考えてみたい。

まず、偽善の定義から。
広辞苑から引用。

本心からでなく、みせかけにする善事。

なるほど、定義を読めば読むほど、自分が偽善者であると確定できる。

なぜ、そう思うかについては、今回はご勘弁を。
だって、偽善者だから・・・


さて、かつては、偽善者な自分が嫌で嫌で仕方なかった。

世間一般に善いことをやっても、「どうせ、俺は偽善者だから」と、結果(善いこと)と自分のあり方のギャップが嫌で嫌でたまらなかった。

そして、周囲から結果を評価されるほど、そのギャップが大きくなり、もう我慢できず。

ついに、「俺は善者になりたい」となった。
しかし、この考えがますます自分を追い込んだ。



そんなある時、同僚医師と酒を酌み交わす機会があった。

結構酔ったのだろう。

「俺はどうせ偽善者なんだ。どんなに善いことをやったって、本質は偽善なんだから、だめなんだよ」

同僚曰く、
「いいんじゃないか、偽善だろうがなんだろうが。やってることが正しくて、善いことだったら、どっちだって同じだ」と。

自分の中で大きな風船がパチンと割れたような感じがした。
「なるほど、じゃあ究極の偽善者を目指すぜ」と。

以来、究極の偽善者として善行を重ねているつもり。
昨日も、今日も、明日も。


では、ぼちぼちファイナルアンサー!

私の考える偽善とは?
もう一歩進めて、私の考える究極の偽善者とは?

「自分が偽善者であることから目を背けず、偽善者である自分に向き合いつつ、善い行いができる人のこと」

自分と結果のギャップから逃げず真摯に向き合う人、とも言える。

すみません、分かりづらくて。
要するに、自分から逃げないこと、そして日々自己反省を繰り返すということ。


ただ、時々、僕って、もしかして善者なんじゃないかと自惚れてしまう瞬間も実はある。
患者さんのために我を忘れて突っ走っているときとか。


いやいや、やっぱり偽善者だね。
自分が善者じゃないかと思ってる(自惚れてる)時点で、すでに偉大なる偽善者だ。
結果はともあれ。



<町医者アーカイブス①>
これは、町医者松嶋大ブログに2019年5月24日に投稿された過去の記事です。


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