町医者 松嶋大

こんにちは、町医者松嶋大です。 岩手県盛岡市にて「なないろのとびら診療所」を運営しています。 総合診療をベースに認知症診療と在宅医療に集中する、自称「患者バカ町医者」です。 理念は、日々最善を尽くすこと。 皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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■自己紹介 岩手県盛岡市の「なないろのとびら診療所」にて、総合診療をベースに認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでおります、自称「患者バカ町医者」の松嶋大といいます! ■目的 私の目標は「医療の大衆化」です。 医療が地域の中に普通にあり、医療が地域の人と普通につながば、地域の方々の暮らしがさらに豊かになるのではと考えています。 医師である私と多少でもつながっていただくことで、医療をもっと身近に感じてもらい、ゆくゆくは「医療の大衆化」の礎になればいいなと願っています。また医療のみならず、私のライフワークである食や住まいについても意見交換できれば嬉しいです。 ■活動内容 ・フェイスブックの非公開ページでの交流(オンラインサロン) ・オンライン、オフラインでの交流 ・個別相談 ・町医者推奨サプリメント等の会員価格 ■対象 町医者松嶋大や医療、食、住まいにご興味がある方であればどなたでも大歓迎。

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マガジン

  • 町医者エッセイ

    町医者松嶋大が書き溜めているエッセイです。

  • しごとのこと。活動のこと。

    町医者松嶋大のオフィシャルなおしごと、活動のお話です。 なないろ、おたがいさま、財団のこと。

  • 町医者の雑感

  • 差別がない社会

  • 障がいについて考えてみる

    てんかんという障がいをもつ松嶋が、障がいについて考えてみます

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こんにちは、町医者松嶋大です。

こんにちは、町医者の松嶋大です。 岩手県盛岡市仙北町の「なないろのとびら診療所」を運営しています。 総合診療をベースに認知症診療と在宅医療に集中する、自称「患者バカ町医者」です。 理念は、日々最善を尽くすこと。 患者さんの健康と幸福のため、食にも力を入れています。 みなさま、どうぞよろしくお願いします。 ----- ★町医者松嶋大 https://lit.link/machiisya ★なないろのとびら診療所で町医者をしています。 http://www.clin

    • いぎるごどは難儀なの④@町医者エッセイ

      共演が始まりました。 何度も出入りしている祖母宅の玄関を、ぼくは医師として出入りしました。あるときは看護師さんと、あるときはぼくひとりで。 医者モードのときは看護師さんと、医者でありつつも孫モードのときはひとりと使い分けていました。身体としては同一人物だけれども、頭の中をちょっと別にして。 医者モードのときは医者です。 症状に対して診察をし、必要であれば薬を出し、必要であれば点滴をやったり、リハビリなどをします。 例えばあるとき、咳が少しだけありました。即座に麻薬を開始

      • いぎるごどは難儀なの③@町医者エッセイ

        肺がんであることを祖母に伝えました。   もともと元気な祖母とはいえ、さすがにすでに90歳目前。がんを治しうる治療法がないことは素人目からも確実でした。 しかし、藁にもすがる思いとはこのこと。先輩医師の外来に祖母を紹介しました。何か少しでも光があって欲しいなと。 先輩医師の結論は、「積極的な治療法なし。抗がん剤がないわけでもないが超高齢だから積極的には考えづらい」と。全く同感でした。いつもの医師・松嶋であれば、同様の判断を下していたはずです。しかし、そうはいかなかった。つまり

        • いぎるごどは難儀なの②@町医者エッセイ

          孫が祖母の病気を見つける。   身内の病気、しかも命を脅かす病気を見つけるということは、たとえ医師であってもそうそう経験することではないと思います。これもまた医師の宿命とは言い聞かせるものの、やはり辛いことです。   私は、祖母に肺ガンであることを伝えることにしました。   「ばあちゃん、あまり良くない病気が見つかったよ、肺がんだ」   ちょっと冷たすぎやしないかと危惧するほどに淡々と伝えました。いや正確に申すと、淡々とする他なかったのだと思います。私がいつも診察室で展開する

        • 固定された記事

        こんにちは、町医者松嶋大です。

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          いぎるごどは難儀なの①@町医者エッセイ

          亡くなった祖母の物語です。 祖母がもしまだ生きていれば今年97歳を迎えています。 あの病気さえなければ百歳まで生きていたと本気で信じていたので、未だに、まだ生きているんじゃないかと思うこともあります。   ある時、祖母が、脇腹が痛いと私に助けを求めてきました。 診察すると、典型的な肋骨骨折に見えました。肋骨骨折では、小さい骨折の場合レントゲンに映らないこともあり、また仮に折れていたとしても痛み止めのみで様子を見ることが多いです。そこで、私は、レントゲン結果は大勢に影響しない

          いぎるごどは難儀なの①@町医者エッセイ

          語る弔辞@町医者エッセイ

          人生初の弔辞が患者さんへ向けてなんて、ボクらしいと思う。   「コウイチさん、出会えて本当に光栄でした。また天国でお会いしましょう」    このように結んだと記憶しているが残念ながら定かではない。遺影に向き合ったボクに原稿はなく、本能そのままに語り、語りの記憶は涙で洗い流されてしまったから。      コウイチさんは重度のレビー小体型認知症を患っていた。  晩年は寝たきりで、胃ろう栄養、中心静脈栄養を受けられた。入院がお好みではないコウイチさんは、サチコさん(奥様)の愛情溢れ

          語る弔辞@町医者エッセイ

          僕はどこから来たのか?

           いつも私の物語をお読み下さりありがとうございます。おかげさまで無事に書き進めています。なぜ無事かと申しますと、この短いエッセイ、書き上げるのに結構なパワーを使うからです。私の心に大切に仕舞っていた物語・物語の扉を開け、物語の中に再び戻ると、当時の喜びや哀しみなどが一斉に私に詰め寄ります。全く涙なしにエッセイを書き上げられません。書き終える頃にはぐったりするのです。そこで、今回は充電のためブレイクタイムとさせてください。誰もご興味はないとは知りつつも、私自身のお話を幾ばくかご

          僕はどこから来たのか?

          もっと早く出会いたかった④@町医者エッセイ

          鎮静が始まりました。幾分苦痛が和らいだのだと思います。日中もうつらうつらされていることが増えました。終点は間近でした。   「何かしておきたいことはありませんか」   後悔がいくらでも残らないことを願い天野さんにお尋ねしましたが、残念ながら御本人に答えられる力は残っていませんでした。   「盛岡の美しい空を、そして岩手山を見せてやりたい」   代わってご主人がおっしゃいました。 高校卒業後すぐ上京した天野さんは、人生の多くを東京で過ごしました。どれほど離れていても、どれほど時

          もっと早く出会いたかった④@町医者エッセイ

          もっと早く出会いたかった③@町医者エッセイ

          本人が、家族が、医療者がどれほど願ったとしても病気は進行します。天野さんに確実にその日が近づいていました。やがて、耐え難い倦怠感が天野さんを襲います。あらゆる治療が無効でした。唯一、私に残されたのは「鎮静」のみ。   話を進める前に、緩和ケアの「鎮静」について説明します。日本緩和医療学会によると、「鎮静」とは、「患者の苦痛緩和を目的として患者の意識を低下させる薬剤を投与すること」、あるいは「患者の苦痛緩和のために投与した薬剤によって生じた意識の低下を意図的に維持すること」です

          もっと早く出会いたかった③@町医者エッセイ

          もっと早く出会いたかった②@町医者エッセイ

          積極的な緩和ケアが始まりました。 眠れない、だるい、痛い、食欲がない、苦しい・・・、様々な苦しみが天野さんに襲いかかっていました。神がいるのだとすれば、何を理由にこれほどの苦しみを一人の人間に与えるのか、私は、神を、そして運命を恨まざるをえないほどでした。しかし、誰を恨んでも仕方ありません。今、私の前には、ただひたすら苦しんでいる天野さんが横たわっている。私は、医師として、苦しんでいる方にひたすら力になりたいと強く思いました。   天野さんとの物語を進める前に緩和ケアの説明を

          もっと早く出会いたかった②@町医者エッセイ

          もっと早く出会いたかった①@町医者エッセイ

          「積極的」という言葉。 医師として、いつも違和感を覚えつつ仕方なく使っている言葉です。 例えば「積極的治療」のように。ガンの場合、癌を切り取る手術だったり、抗がん剤治療だったりを指します。一方で治癒が望めず、せめて苦痛だけでもしっかりとろうという趣旨の緩和ケアは「積極的医療」と呼ばないことが多いです。   天野さんのときもそうでした。 「積極的治療の適応ではなくなったので、あとはご自宅で緩和ケアを」と。大病院から私への紹介状の一節です。 まず、医師のこのコメントに一切の悪意が

          もっと早く出会いたかった①@町医者エッセイ

          先生のそばで@町医者エッセイ

          ぼくらの外来には遠方からいらっしゃる方が少なくありません。 遠方からわざわざ。 もちろん光栄なのですが、実は切ない気持ちがあります。 例えば、 ・地元で具合が悪いときはどうするんだろう? ・通うのが難しくなったらどうするんだろう? のように。 ぼくは、出会った患者さんとは最期まで苦楽を共にしたいというおもいがあります。 遠方からの患者さんだと、このおもいが叶わない確率が高いわけです。 だから切ないのです。 今回の主役も遠方の方。 だいたい100kmくらい離れた方。

          先生のそばで@町医者エッセイ

          男と男の約束@町医者エッセイ

          男と男の約束を交わした恒頼さんは八十を優に超えた男性で、胃ガンを患っていました。 病気の存在を知らない方からは、物忘れもなく、シャンシャンと歩ける、とってもお元気な八十代に見えていたに違いありません。 一見した元気さとは裏腹に、食は細くなり、体重も減る一方でした。にもかかわらず弱みも見せず、凛々しいお顔を崩すことはありませんでした。孫の送迎をこなすなど家庭内で依然現役だったことが恒頼さんを奮い立たせていたのかもしれません。   ある時、恒頼さんが珍しく苦痛の表情とともに受

          男と男の約束@町医者エッセイ

          個別性のこと

          施設入居中の患者さん。 随分前から担当しています。 歳も重ねて、病気もあって、最近は寝たきり。 元気な頃は毎週美容院に行っていた方。 最近は施設に来てくださる理容師さんがカットしてくれています。 元気な頃は髪は肩につくかどうかのあたりできれいにカットされて、いつも整っていました。 今は寝たきりということもあるかもしれませんが髪は短く。 ぼくはご家族に提案したんです。 「美容師さんに定期的にカットしてもらうのはいかがですか。紹介するので」 毎週通っていたのはよく

          障がいトリオ結成✨

          視覚障がいの岸野さん(京都)、脳性麻痺の三戸さん(秋田)、そしててんかんの松嶋(岩手)という陣容です。 年齢は似たりよったり。 岸野さんとは、奇跡的に同じ生年月日。年まで。 職業は様々。 お寺さんの岸野さん、学校先生の三戸さん、医者の松嶋。 障がいも様々だけれども、何かしらの障がいを持っている点では一致。 そんなトリオが昨日秋田に集結しました。 夕食をともにしながら、障がいをネタに語り合うことが主目的。 まず3名(+ゲスト)で秋田駅から夕食会場まで歩いてみました。

          障がいトリオ結成✨

          バリアフリーという言葉がない社会

          盛岡視覚支援学校に勉強に行ってまいりました。 遠方から朋、親友の岸野さんがいらっしゃったのでご一緒に。 学校の方にとても丁寧にご説明、ご案内をいただきました。 この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。 まずぼくの結論から。 視覚障がいの方にやさしいかもしれないことは、全ての方にとってやさしいだろうということ。 廊下に何も置かないこと ドアの色を変えてわかりやすくする(場所の確認) 鈴などを置いて場所に気づきやすくする 眩しすぎないように窓を工夫する そ

          バリアフリーという言葉がない社会