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[歴史から見る] 日本人のお米とのお付き合い

 みなさんは子供の頃からお米を食べていて、小さいお子さんがいるご家庭ではご自身のお子さんにもお米を食べさせようと思っているとおもいます。改めて「なんで自分は米をたべてるんだろ?」「なんで子供にも食べさせるんだろう?」って考えたことがあるでしょうか。お米の国といわれる日本であっても、現代の日本人はそうした思いを抱くことは少ないんじゃないでしょうか?

お米は家でも普通にあるし、無ければ買いに行け、出かけ先でもたいていはどこかで見かけます。「ごはん食べた?」と人に聞いたり聞かれたりもします。

その「ごはん」って何でしょう。
はい、本来であれば炊飯された「お米」を意味します。
経済や物流が豊かになった日本では食べる物や食べ方に選択肢ができました。しかし挨拶の言葉の中には「みんなお米食べた?」が残っています。

いつから白いご飯は食べられているんでしょう。
むかしの人は玄米食だったんでしょうか?
他にはなにを食べてたんでしょう。
一度ご自身でも調べてみてください。
普段頂いている豊富な食べ物をなぜ自分は口に入れているのかが分かってきます。

最近ではお米離れや、米不足、海外からは日本のお米に注目が集まるなどニュースにもなっています。忙しい日々の生活から、気にならないか「ま、いっか。」と聞き流していることと思います。
一度、簡単におさらいしてみましょう。

・なぜ自分がお米を食べているのか

それは自分の先祖、親、家族、周りの仲間が食べているからです。
では、なぜみんなしてお米を食べているんでしょうか?

それはお米を育てるのに適した土地に住み、比較的容易に収穫できる作物だからです。一般作物の何百倍も収穫が可能で、それだけで必要なカロリーと主な栄養素を摂ることが出来ます。体づくりの基礎とするにはとても優秀な作物だからです。


・日本でお米を食べている理由

周りを海に囲まれた日本では、蒸発した海水は雨となって山を濡らし、川となって海に戻る。日本の地形は循環機能を合わせ持つ天然の浄水器です。世界有数の清らかな水の産地。そして河口では湿地帯が広がり稲を育てる地盤が出来上がっていました。それが世界では、2割程度しか食べられていないもっちりと水みずしいジャポニカ米を日本人が昔から食べている理由です。

日本と違い湿った大気が届かずドライランドと呼ばれる大陸では、乾燥に強いパラパラで細長いインディカ米が選ばれました。水気の無さから油で炒めてから水で炊くなどの調理方法が取られ西はトルコ、イスラム帝国の支配下となったスペインにもその調理方法が浸透しました。パエリア、ピラフなどが有名です。

比較的降水量の多い東アジアではお米が主な食べ物として選ばれ、大気が乾燥し土地も豊かでないヨーロッパ地方では小麦などの荒れた土地でも育つ作物を主な食料としました。粉物文化の形成です。

土地が痩せていて降水量や気候が適さない場所の多い西側では小麦、蕎麦、アワ、ヒエ、大航海時代以降は各植民地からジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、サツマイモなどの枯れた土地に強い作物がヨーロッパに導入され、日本にも航海食、非常食として輸入されました。

日本は地殻変動により大陸から切り離されました。海に囲まれ湿気のある大気は日本全土へ吹き込み、雨を降らせ、山の多い地形は天然のろ過装置となり、世界有数の清らかな水の産地となりました。海から遠い大陸部では乾燥化が進み、水を得るために人々は大河や湖の周辺に集まりました。

陸地の広い大陸では水がすぐに干上がってしまい人工的に水を取り込む農耕に頼るしかありません。水場の取り合いは必至です。争いを繰り返しながらも農耕により食糧が爆増し文明が開かれました。水が文明を作るのです。

日本は世界でもめずらしい自然が非常に豊かな南北に長い大きな島です。
南北に長い日本では気候や地形が各所で違い、異文化がコミュニティを作りました。良い土地を求め移り住んで来る人々は定住するようになり、日本はそうした人たちの終着点となりました。移民の多い日本は異文化が共同で暮らす昔からの多民族国家なのです。

自然が豊かで各所で独立して生活が出来るため狩、採集文化が1万年続きました。そこで育まれたのが自然崇拝。アメニズムです。
自分を自然と合わせる考え方。
縄文時代と呼ばれています。

一般作物の数百倍の収穫量を期待できる稲(お米)とそれを調理する鍋作りに必要な高温に耐える鉄を持って大移動してきた外国勢が一気に南から中部まで広がったのが弥生時代。これにより食べ物の供給量が増え日本でも人口は激増します。

古事記などの日本神話では米作りと共に日本の国作りが始まります。それ以前の歴史については、ホツマツタエという神代文字を使ったものがあるそうです。

天候に左右されるため、農耕では不作/豊作が必ずあります。飢えを凌ぐために食糧を奪い合う、争いが絶えません。なので大陸部ではいくつもの国が滅びました。それが海外の歴史です。

日本では自然が豊かなため狩、採集文化が残り、農耕文化がそれを補う形で融合しました。”自然”と人々に貢献した”英雄”を神と捉える日本独自の思想が生まれ、神社に崇め農耕による人口の安定化と共に人々の生活が安定しました。

・お米のふるさと

お米の原産地は中国の山間部にある雲南省、その近辺のアッサム地方が有力視されています。揚子江を下って湿潤な東へジャポニカ米が、山沿いに西へ乾燥に耐えるインディカ米が広がり東南アジア全域、インドを経由し西側諸国に伝播しました。

日本へはタイ、フィリピン経由の海路。韓国経由の陸路が有力な説です。
また、日本では元々稲作が行われていたという説もあり、正確には分かっていません。沖縄ではタイ米を使い泡盛が今でも作られています。

メインの東アジア以外の世界各国でも各種のお米が副菜として食べられています。世界のお米の消費率ランキングではバングラデシュが一位で日本は50位を前後する状況です。お米といえば「日本!」はちょっとおこがましいですね。

・まとめ

一般の食育現場では栄養学や流行りの情報に左右され、本来考えるべき地勢学的お米を食べる理由が考えられていません。また、大人の事情、国際政治などの影響も非常に大きいようです。

以前の日本とは違い、ほとんどの国民が作物の生産に関わらなくなりました。
そのため、今では自分たちの住んでいる土地の優秀さ、外国と比べた時の価値に目が向くことがありません。
人々が街になだれ込む人口の一極集中化とハウス栽培主流による見えない生産現場で、食べ物の生い立ちを人々が見ること自体が少なくなりました。そのため生きているのが人間とペットだけの感覚を生み出します。

最新の情報と称する健康志向やエンターテイメントに偏る食べ物。街の流通方法であるお金のためのビジネス食材として見られる食べ物。
かろうじて身体の栄養は保てても、心の栄養はすっぽり失われています。

心の栄養は料理を作る時の愛情、調理方法、文化や芸術が補っています。
自分たちの所作、調理方法、文化、芸術の理解がないと地球規模で見た日本人の国際的優位性も失ってしまいます。外国のやり方(大規模農法)を導入している慣行農法ではその影響がより強く現れており、小さく満たしていく我々の土地に合った日本の生産文化はすでに消滅の危機に瀕しています。
まずは身近な食べ物から自国の成り立ち、世界との位置関係を見つめ直してみましょう。

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