(2011年6月30日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)
2011年6月18日付「中外日報」に興味深い記事があったので、番外編として紹介したい。
まさに、拙ブログで触れてきたテーマと重なる。宗教者が抱える課題は、かなり共通している。信楽峻麿龍谷大学元学長の講話に続き、震災と宗教者の関わりをテーマに討論が行われた。記事では、救援活動と布教のバランスについてのやり取りを紹介している。
いずれも率直で実にイイ。牧師や教会員もこのぐらいオープンに議論したらいい。今回の震災後、キリスト教界ではこうした視点があまり見受けられないが、考えるべきテーマの一つであることは間違いない。
ちょうど、日ごろお世話になっているクリスチャン葬儀士のはるさんが、本連載に呼応して「伝道という下心」と題する記事を書いてくださった。
葬儀と震災は決してイコールではないが、人の生き死に、病、艱難、悲劇、苦悩をどうとらえるか。そして、「被災地伝道は是か非か」。そもそも伝道とは何ぞや……と、議論すべきことは多々あるはずだ。
私たち被災地外にいる者がすべきことは人や物による外面的支援だけでなく、目下の問題に直面する当事者ではできない総合的かつ客観的視点による深い思索と広い模索ではないだろうか。