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境界性パーソナリティー障害について 0

生きづらさのはじまり

私は思春期の頃、Coccoと浜崎あゆみの歌に救われていた。本当に、彼女たちのおかげであの時は生きていられたと思う。
中でも「遺書」と「A song for XX」は毎晩眠る時に聞いては泣いていた。そんな思い出がある。

「境界性パーソナリティー障害について」という記事で触れたが、この頃から「自分だけなんとなく周りと違う」とか「家族からいらないと思われている」という生きづらさは感じていた。
はじまりは、反抗期を迎えた私に父親が「お前なんて産まれてこなければ良かった」と言いながら殴ってきた事かもしれない。
あの時、周りの景色がグレーになり、スローモーションになり、音は聞こえているけれど、自分を自分が俯瞰して見ていて、まるで現実ではないような感覚を覚えた。
自分というものを支えているものが何も無くなったような、自分から感覚や感情が全て抜け出てしまったような。
痛くなかった。ただ悲しかった。

無条件の愛情を求めて

とにかく自立したい、と思っていた。自分の力で生活できないから、殴られたり、ひどい言葉を投げつけられるんだと思っていたから。そして、誰にも負けないくらい強くなりたかった。
強くなれば傷つかなくなると思ったから。

就職してお給料がもらえるようになると、すぐさま不動産屋に駆け込み、有金で借りられるところを探して実家を出た。
幸い就職先や周りの人間関係には恵まれていて、働き始めると、真面目だとか愛想が良いとかで、とても評価された。それが嬉しかったし、自分に自信も付きそうだった。
でも恋人が出来始めると私のメンタルは壊れ始めた。とにかく全てを受け入れて欲しくて認めて欲しくて、誰よりも何よりも私を優先して大事にして欲しいと思った。
そんなことが叶うはずがない。
だって、彼には彼の生活があるし都合もある。でも、そうしてもらえないことは受け入れられない。不安を止められなくなるから。
そしてその度に泣き叫んだり暴れたり暴言を吐いたり、無理難題を解決しろと言ってみたり、もう別れるとすぐに切り出したり。
振り切れてしまうと止められなくて、明け方まで彼を付き合わせた。
ずっとずっと私は、「どんなあなたでもいいよ」と言ってくれるお母さん、お父さんを探していた。無条件の愛をくれるお父さん、お母さんを。

自傷行為はなんのため?

境界性パーソナリティー障害と自傷行為は切っても切り離せない。
境界性パーソナリティー障害の診断に使われるDSM-5というアメリカの精神疾患のマニュアルがある。その中には衝動性、自傷行為などの項目がある。
境界性パーソナリティー障害の患者は、自分自身を傷つけてしまうことやそのそぶりを見せるなどがたびたびあり、それを繰り返すことで、その死亡率は他の精神疾患よりも高いと言われている。
私はたぶん、父親に殴られたあの時から、希死念慮というものと向き合ってきて、その思いが浮かぶたびに、あの自分が自分でない感じ、血の気が引いて身体が動かなくなり、現実が現実ではない感じを、繰り返し経験するようになった。
私も繰り返し自殺企図や未遂をしていて、自分でも、「自分がいつか本当に死んでしまうのかもしれない」と、正常な思考回路の時は不安に思ったりする。
この行為は、「助けてほしい」「楽に生きられるなら生きたい」という心の叫びなのかもしれない。辛くなく生きられるなら、楽になれるなら本当は生きたい。私はそう思う。

自分を傷つけてしまうのは、自分のことを誰も大切にしてくれなかったから、自分を大切にする方法がわからないのだ。
自分を傷つけているのは、やり方は間違っているけれど、自分を守るためなんだ。本当は大切にされたい。
でも大事にされることに慣れていない。傷つける方がしっくりくるから。
そんな自分を変えたい。

できるなら、自分も周りも大切にしたい。
楽しく毎日笑って過ごしていたい。
たとえそれはできなくても、ジェットコースターのように感情に振り回される毎日ではなくて、心穏やかに生きたい。
いつか、そんな日が来るだろうか。

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