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沖縄でねこを見かけない日はない
沖縄は地域猫がダントツ多い街だと思う。
多分だけど、“かわいい”“食べてけないのはかわいそう”という単純な理由で道行くねこにエサをやっている、のだろう。
賛否あるのは承知の上書くが、わたしは地域猫が多いことに県民のルーズなやさしさを垣間見ている。
内地から移住し、保健所で働く友人は“無責任や”と眉をひそめる。彼女は地域猫が人間にもたらす様々な影響や、猫たちの置かれた実は過酷な環境をよく知っているからだ。
草の根活動だけれど捕獲器を仕掛けて猫を保護し、里親探しにつなげている友人もいる。けど、とてもじゃないけど追いつかない。それでも誰かがやらなきゃと続けている。
人とねこを並べるのは良くないのかもしれないが、沖縄の人とねこの人懐こさがわたしは好きだ。
と、単純にねことの暮らしがいかにしあわせかを書きたかったのに………気がつけばこんなことを書いてしまった。
閑話休題。
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普段内地で暮らしているとねこを見かけることは少ない。それが寂しいわけでもないし、見かけても多分わたしは足を止めない。
だがしかし。
沖縄のねこは絵になる。存在感もある。足を止めずにはいられない。
そして距離の縮め方が心地よく厚かましい。
戸惑いながらもほだされるのだ。
気がつくとヘパリーゼを買いに寄ったコンビニで、チュールも手に取るほろ酔いの自分がいる。
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外猫にエサをあげるにはまだ抵抗があるのだが、飼い主さんの許可を得たねこにはこうやってチュールを貢いだりしている。
ほろ酔いで何かを愛でることは実に至福だ。
この日はチュールを食べた後、“ついて来い”とばかりに中庭と裏庭を案内された。
別にそれだけのことで、なぜ散歩に付き合わされたのか全くわからず、なんなんだと思いながらも振り回されることがうれしかった。
今月末、また沖縄へ行く。楽しみのひとつにねことの再会が加わる日が来ようとは……我ながら驚いている。