農業に戻りまーす マカピーの日々#0989
マカピーです。
あれ、結局ボク戻ってきたってこと?って思う事ありますよね。
農業就業人口の減少に歯止めがかかりません。
マカピーが地元で玄米を直接購入している農家の方も、既に80歳超です。
先日お会いしたら、昨年購入した新車の小型バンの角が凹んでいました。
マカピーが使用するスバルR-2も今年で13年以上のマニュアル車ですが、もともとはマカピー母が群馬で使用していたものを兄から譲り受けています。
母が免許返上する理由は、認知機能が低下したのか相当いろいろなところにぶつけていたらしいので兄に説得されて運転を辞めたのでした。
いまでもその車のバンパーの凹みがいくつか残っているのですが、なんだか母親が一緒にいるような気持ちもあるので、修理せずに廃車まで乗るつもりです。
さて、地元稲作農家の方も母と同じくマニュアル車からオートマ車に代えて、相当混乱していましたね。我が家に配達に来た時も「ちょっと分かんないんだよね」と漏らしていたくらいでその後の凹みが気になります。
この方の場合ですが、毎年田んぼの土壌改良を試み、玄米の品質検査結果を添付するなど研究熱心で「徳農家」と呼べる方です。
それでも、どうやら世代交代しようにも後継者がいない様子なんですね。
どうしてなんでしょう?
それは、農業をする人がいないからです。
そんなことは数字を見ればわかるだろう!マカピーはアホか?
恥ずかしながら、マカピーも農業の学校を卒業しているんですよ。
でも他のクラスメートと同じように農業に就いたのは、確証はないのですがほんの一握りだったと思います。
マカピーの場合は農家の次男だったので、いずれは長男(兄)が家を相続することが決まっていたので実家に戻っての農業という選択はありませんでした。
ところが、兄は同じく農業の学校を卒業するとサラリーマンになって定年退職まで働きながら父と引継ぎを行う、典型的な近郊農業の世代交代をしたのでした。
マカピーは実家が採卵鶏の養鶏場をやっていた事もあり、一時期「自然農法での養鶏」をしたくなった時期がありました。
兄が勤めに行っているのなら、自分がしばらく実家で近代養鶏と自然養鶏を組み合わせても面白いかなあって思ったのでした。
ところが、在学中に一年間の酪農実習に行くと「もっと他の世界が見たい」気持ちが生まれたのでした。
帰国して卒業年次となり卒論準備をしていると、一緒に米国に行った養豚業の知り合いから住み込みアルバイトを紹介され、神奈川県の山間の養豚場から学校に通い卒業すると、そのままその養豚会社に就職してしまったのでした。
ところが海外へ行きたくて、青年海外協力隊(JOCV)に応募してマレーシアに2年ほど行きましたが、その頃は農業よりも国際協力に関心が移って行きました。
帰国するとマレーシア語でのアルバイトを紹介され、半年ほど働きながら大分県のミカン農家に婿養子になるべく見合いをしたのですが、マカピーの勘違いから見事失敗してしまいます。
農業復帰ならず!
結局、バイト資金を元手に東南アジア(タイ、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、モルジブ、インド、ネパール、タイ)を半年ほどバックパッカーでの旅をして祖母の容態が悪くなり帰国したのでした。
実家で祖母を看取ってしばらくすると、今度は国際協力での活動現場の調整員業務の紹介があり、試しに受験するとOKとなりました。
契約ながら仕事を得たので結婚していった最初の国がフィリピンのマニラ、それ以来各国で滞在したのでした。
そしてマカピー自身も昨年3月末に南アフリカの案件で最後の国際協力の仕事を終え帰国すると、以前から声掛けをしてもらっていたハジさんからマレーシアでの仕事に参加する事にしました。
昨年11月から開始された仕事は、まだ確実ではありませんが農林水産業のうち海洋に関わる仕事です。
開始と言っても、まだ種まき状態だったので昨年の帰国以来マカピーには収入は全くありません。(さすがにマカピー妻から呆れられてます)
それってちょうど、昔にバックパッカーの旅行をしていた頃に似ていなかったかな?
そう、これまでは充電期間だったのかもね?
海なし県である群馬で生まれたマカピーが海での農業をすることになったのも面白いって思いませんか?
分野こそ違うのですが、マカピー自身がようやく「農業に戻って来た」っていう安心感があるのは、ずっとその願望があったからだ思うのです。
さあ、新しく元気に農業に挑戦しよう!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ワニのいる海で泳ぐ?
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