F・ナイチンゲール誕生日ですよ マカピーの日々 #1100
マカピーです。
今日5月12日はフローレンス・ナイチンゲールさんの誕生日だとGoogleが教えてくれ思い出したことがありました。
1820年生まれですから、生誕203年という事になりますよね。
フローレンスさんは現在のイタリアの都市フィレンツェで生まれたので英語読み?でフローレンスとなったのですが、姉 パースィノピーもナポリで生まれていて、旧名の「ナポリ・パルテノペ」の後半からの語源だとウィキペディアは教えてくれてます。
やっぱり、生まれたところの名前を付けるなんて「昔の人って安易だなあ」と思うなかれ!
マカピー自身も中東のイエメンで生まれた三男に近くの都市名でTaizと言うのがあったので「大図(たいず)」ってどうかな?ってマカピー妻に提言して即却下されたのを思い出しました!
実はそれには理由があったんです。
首都サナアで生まれた日本人の女の子が「サナ」と名付けられて羨ましかったんです。だって、友人であるその父親はAbu Sana’a で「サナの父」つまり首都の父という意味になったからです。
カッコいいじゃん!
マカピー妻:「そんな二番煎じで、しかも行ったこともないタイズの名前を付けてどうすんのよ。まったくバッカじゃないの!」
さて、ナイチンゲールさんに戻ります。
社会人から看護師になったマカピー妻の姪がいます。
彼女がかつて看護資格試験の受験勉強に使っていた会津若松にある家の部屋を訪れたことがあったのです。
既に書籍などは片付けられていて机だけしかなかったのですが、その正面の柱にピン止めされた「ナイチンゲール誓詞(せいし)」が残っていました。
マカピーは懐かしくその誓詞を読み返しました。
懐かしく感じたのはマカピーが中央アジアの国で看護教育改善事業に関わったからです。
でも、マカピーは看護師ではありませんよ!(笑)
5年間事務方の仕事で関わっていたのですが、初めて7部門にも細分化している日本の看護教育を知り現地の看護教育と日本との格差に驚きつつも、『フローレンス・ナイチンゲール』は共通の理解でその精神は連綿と受け継がれていました。
その事業では、両国のナイチンゲール記章受賞者がいたんです!
そんなことを思い出しながら、誓詞を読み返したのでした。
今の世の中でも「まったくその通り!って思う内容です)
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。白衣天使たちは今日も戦ってます!
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