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2024/11/13日記_陳澄波を探して、その1

『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』について、まずザクっとした印象をいいます。版元が岩波書店であることや、装丁の印象がやや堅かたいので、発売してからしばらく躊躇していました。ただ、訳者が台湾ライターとして好きな栖来ひかりさんなのですごく気になりました。栖来さんの書く記事は、単著や雑誌などで読んでいます。台湾についての疑問、しかも痒いところに手の届いた疑問を歴史背景を踏まえながら、わかりやすく書いてくれています。そんな栖来さんが訳を担当するなら、きっとおもしろいはずだと思っていました。読み始めると、訳文がとても読みやすい。中国語は読めないので原文の調子はわからないものの、歴史小説なのにエンタメのようにすらすら読めました。

この作品は台湾美術史のなかでタブーになった画家・陳澄波の足跡を描いた小説で、事実をベースにしています。物語のなかで大きく2つの軸が流れています。ひとつは1984年で、主人公の阿政と方燕が陳澄波について取材し、彼の周辺の人物と対面しながら事実を明らかにしてい時間軸です。もう一つは、陳澄波が生きていた1895年から1947年までを回顧する時間軸です。取材をしていく様子と、そこで明らかになった過去の回想を切り替えながら、話は展開していきます。

ぼくは陳澄波のアイデンティティについての物語と読みました。戦争を含め、想像できないほど庶民を置き去りにしたまま、国家の都合で時代が変わっていく。その中で3つのアイデンティティについて描かれていたと思います。その3つの葛藤をひとりの人間が抱えながら生きた、そこにこの小説の醍醐味を感じました。

ひとつは国籍で、彼はちょうど清朝から日本統治に切り替わった1895年に台湾の嘉義で生まれました。台湾という場所で生まれますが、その時は日本であったため日本人になります。日本人になっても、当時台湾や琉球の人々は二等国民とみなされました。絵画の才能があった彼は、東京美術学校(東京芸術大学)で学びます。帝展にも入選し台湾人として栄誉を手にしたにも関わらず、卒業後は日本でも台湾でも職を得られず、上海で教鞭をとりました。そして日米の戦争が酷くなってくると台湾へ戻ります。1945年に日本が敗戦した後、台湾が独立することは叶いませんでした。大陸から流入してきた中華民国によって支配されてしまいます。

続きはまた明日以降。

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