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「死にたい」の起源

最近は、自分の

「死にたい」

という感情を真っ直ぐ見つめる。


いいとか悪いじゃなくて
ただただ真っ直ぐに。

ひとりカウンセリングもおすすめ。

ノートにカウンセラー役と
私の掛け合いをただひたすらに書いていく。

以下、
私のノートを簡略的に文字起こし
してみました。

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カウンセラー
「今日はどうなさいましたか?」


「死にたいがまたこみ上げてきて辛いんです。」

カウンセラー
「そうですか。それは辛いですね。
 どうして死にたいと感じるのでしょう。」


「わからないんです。
 でもなぜかどうも苦しくて。
 この肉体にとどまるのが苦しいのです。」

カウンセラー
「肉体にいるのが苦しいんですね。」


「そうなんです。
 ”ここじゃない”と悲鳴をあげているようなんです。」

カウンセラー
「ここではないと感じるんですね。
 どこに行きたがっているのでしょう」


「死の世界・・・。
 というよりも精神世界?
 重たい肉体を脱ぎ捨てて軽い精神世界に
 行きたいんです。
 この世はどうも自分に合わない」

カウンセラー
「そうなんですね。
 どんなところが合わないと感じるのですか?」


「いつもみんな慌ただしく
 時間とやることに追われて
 大切なものには目を向けず
 あほくさい。こんな人生。」

カウンセラー
「そう感じるのですね」


「だってそうでしょう
 本来私たちはなんのために生きているの?
 こんなふうに時間ややることにただただ
 追われて生きていくためなら
 死んだ方がマシだ」

カウンセラー
「時間ややることに追われるのが
 とても辛いんですね。」


「はい・・・。
 もう嫌だ。こんな世界。」

カウンセラー
「・・・。」


「本来の人の姿がそうであるはずなんです。
 そうでないこの世に生きるのが
 本当につらい
 こんなの本来の姿ではない。」

カウンセラー
「本来のあるべき姿で生きたいんですね」


「私たちのご先祖様、すなわち神様が
 私たちが今こんな生き方をしている
 なんて知ったら泣きますよ・・・」
 つないだ命がつないだ地球が
 こんな生き方でこんな形にされて
 あまりにひどいじゃないですか」

カウンセラー
「そうですね。
 どんな世界だったら嬉しいですか」


「お金や時間・やることに
 せき立てることなく
 縛られることなく
 自分の自由に表現して
 生きていきたい。
 自然を感じたり、
 ゆっくり息を吸って吐いて
 自分の呼吸や鼓動を静かに感じたり。」

カウンセラー
「素敵ですね」


「そんな世界に住みたいんです
 そんな社会で行きたいんです
 あるべき姿に戻りたいんです
 帰りたいんです」

カウンセラー
「”死にたい”という気持ちは
 あるべき本来の姿でいきたい
 あるべき本来の形に帰りたい
 という叫びなんですね」

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ここで気づいたんです。

あぁ。
「死にたい気持ちは
 本来の姿に戻りたい帰りたい。」
ということだったのか・・・。

じゃあその本体の姿や形って
どこにあるの?

それで私は自分の家系図を調べました。
そしたらもちろん
日本の歴史にたどり着きますね。

そして遡っていくと
いろいろな国の神話に
たどり着くんですね。

つまり神話の登場人物につながる。

神話=神様のお話。

「”ご先祖は神様だ”
 っていって手を合わせるけれど
 本当だったな。」
と確信に。

私は、
父方がキリスト教と
母方が仏教・神道。

幸いにもどちらの文化にも
触れさせていただきながら
育つことができたわけですが

たくさんの類似点や共通点が
あることはこどもの時から
なんとなく感じていました。


「死にたい」
を見つめ、自分のルーツが気になり
調べることで幼少期に薄々感じていた

「なんとなく共通点多いよな」

という感覚が

「あ〜なるほどね!」

に変わっていくわけです。

そして腑に落ちていく。


めっちゃグッとまとめると
結局、
人類皆兄弟。

みんなご先祖様は同じ。

みんな神の子だし
みんな選ばれしもの。

だから
「こんな生き方違う!
 本来の姿じゃない!」
って思う。

そして
「こんな生き方違う!
 本来の姿じゃない!」
という感覚は正しかった。

今ここを生きるためには、
ルーツを知る。
=過去を知ることが重要。

もちろん未来を見据えて
目的を立て、
それに進むことも重要。

だけど自分のルーツや
生まれてきた意味が
分からずして目的が
描けますか?

私は、
「死にたい」
を見つめることで知れた
自分のルーツ
そして今自分が生まれた意味を
知れたからこそ
未来への目的をやっと
本当の意味で立てることが
できるんだと思う。

もちろん時にはまた
立ち止まって
軌道修正しながら・・・。

「死にたい」は、
「立ち止まって軌道修正のタイミングだよ」
「今一度立ち止まり
 ご先祖さまの声を聞くタイミングだよ」
と教えてくれているのかも知れない。

だから
「死にたい」は
マイナスのことではなく
明日を生きるためのヒントを
自分の内なる声が教えてくれている。

だから別に悪いことなんかじゃない。
自分の内なる声に気づいてあげられる
その感性は素晴らしい
そう思えるようになれた。

まだまだ自分のルーツを
調べたい要素は満載!


自分の生きる意味を
見失わないように
自分のルーツに
触れながら調べながら
また今日を明日を
生きていけたらと思う。

大事なのは
自分の命を自分自身が尊ぶこと。

その命の尊さを
教えてくれたのは
ご先祖様でした。

心から感謝申し上げます。


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