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【映画評】 小森はるか『かげを拾う』 「影」から「かげ」へ、レイヤーとなる被災地の光景

(見出し画像:小森はるか『かげを拾う』)

小森はるか『かげを拾う』(2021)

仙台在住の美術作家・青野文昭さんの制作風景を追ったドキュメンタリー。せんだいメディアテークでの個展にむけて青野さんが取り組んでいた、仙台市八木山と岩手県宮古市を舞台とした新作制作の中で、「拾う」「なおす」行為にキャメラをむけた。「青野文昭 ものの、ねむり、越路山、こえ」の関連企画として本作を上映。

(映画HPより)

(メモ1)

「越路山」は「こしじやま」と読むのか「こえじやま」と読むのか? 

越路山の名の由来をわたしは知らないが、中世の東街道が山裾を回り込むようにあったため、「あの山を越えると路がある」と言ったことだろうか?と書かれた紹介webがある。信じていいものかは不明である。そのwebには、越路山を八木山と呼ぶようになったのは、仙台の豪商・八木久兵衛が野球場などの施設を作った昭和になってからのようだ、とも書かれている。

映画がとらえた展覧会「青野文昭 ものの、ねむり、越路山、こえ」について、BTデジタルに記事があった。

青野文昭は1968年生まれ。96年から一貫して、廃棄物や拾得物の持つテクスチャーや形態を手がかりに「なおす」ことをテーマとした作品を手がけてきた。近年の主な参加展覧会に「コンニチハ技術トシテノ美術」(せんだいメディアテーク、2017)、「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館、2019)などがある。
展覧会のタイトル「越路山」は、蒼乃の生誕地である現在の「八木山」を指す。遠い昔の「ダイダラボッチ」伝説や伊達政宗の存在、そして野球場をはじめとした山の開拓から東日本大震災まで様々な出来事の舞台となった同地は、過去から続く死者の空間として展示作品のすべての物語の出発点であり本展の帰結点となっている。(せんだいメディアテークの1000平米の6階ギャラリー4200全体を作品化。2019.11.2〜2020.1.12)

(BTデジタルから抜粋)

(メモ2)

BTデジタルにあるような「ダイダラボッチ」伝説や展示について立体的に構成された映像だと思っていたのだが、本作は展覧会の関連企画としての資料映像だった。

海岸で漂流物を拾うショットで始まり、類似のショットで終わる。その間を繋ぐのがアトリエでの制作風景と展示作業。そして青野文昭と彼の妻による語り。
本作で一番興味深かいのが最初と最後の影のショットである。最初のショットは青野の足元と地面に落ちた青野の短い影、最後のショットは青野のいくぶん遠めのショットによる長く伸びた影。どちらも存在を影として示しているのだが、“短/長”の影による時間の経過の表象なのだろう。そして、タイトル「かげを拾う」。「陰」でもなく「影」でもない。それは、海岸に投影された青野の人影であり、海岸に漂流した物の背後にある、想像することでしか見えない「かげ」でもある。映画はその「かげ」を立ち現わせようと模索するアトリエの青野文昭の姿をとらえる。そして、青野の人影が単なる「影」ではなく、新作制作から浮かび上がる「影」が「かげ」へと変位することで映画を終わらせようとする。興味深い構成とタイトルである。

(映画遊歩者:衣川正和 🌱kinugawa)

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