【映画評】 杉田協士『河の恋人』
幼い女の子が目を覚ますと隣の枕には誰もいない。その枕の主はいったい誰なのか。
女の子はパジャマ姿のままアパートの外に飛び出し、誰かを追いかける。
杉田協士『河の恋人』(2006)は、このような不在の呈示で始まる。それから年月が流れたのか、アパートの二階から女子高校生(中学生かもしれない)が荷物を持って現れる。引っ越しをするようなのだが、この女子高生の名は桐子(表桐子)。桐子は冒頭の幼い女の子と同一人物であることがやがて判明する。今日は桐子の演劇部・転校記念公演の日。桐子は学校に向かい教室へ。公演は5時間後。演劇部の仲間たちは公演を前になにやら賑やかなのだが、桐子の気持ちは複雑である。それは父ことである。父が河釣りが好きだったことが母親との会話でわかる。いつだったか、父が釣りから帰らないので、桐子は母と一緒に父を迎えに行き、父母ともに滑って河に落ちたことがエピソードとして語られる。だが、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。父が失踪(このことは作品内では明快には語られない)したのだ。
父の失踪。今日は父の思い出を残したアパートを引き払う日。だが、桐子はそのことに耐えられない。いや、これは桐子だけではない。母も同じことを思っている。今にも父が戻ってくるのではないかという想いだ。そして、演劇部の仲のよい友だちにも、母親にも、桐子には10年間、誰にも言えなかった秘密があるのだ。
心にしまっておいた秘蜜。桐子は秘密を母に話す決心をする。それが冒頭のシーンに繋がるのだろうか。桐子は目覚め父のありかも求め河まで駆けていく。するとそこには釣り竿を持った父の姿があったと。釣竿は家にあるはずなのに、父はその釣竿を持っていたと。失踪した父が、釣竿を持つ幻影を見たのだと。
桐子はそのことをずっと母に話せなかったのだが、ようやく話すことができた。失踪という不在、そして引越しという移動。引っ越しとは記憶から遠ざかること、もしくはそこから逃れることでもある。だが、杉田協士監督作品の場合、遠ざかる、もしくは逃れる対象となるのは、不在者である。これは杉田協士監督の一貫して流れるテーマなのかもしれない。本作の父の失踪による不在と幻影、『春原さんのうた』(2021)の女友だちとの別離による不在と幻影のようなもの。そして、引っ越しという移動。とりわけ『ひとつの歌』(2011)、『ひかりの歌』(2017)、『春原さんのうた』における移動は、引っ越しに限らず、フェリー、バイク、車による移動として描かれ、それは過去との“決別”であり、“接近” でもある。
(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)
杉田協士『河の恋人』予告編