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【映画評】 ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』 アルジェの戦いとパリ滞在中のテロ

(見出し画像:ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』)

ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』(1966)

映画の内容について語る前に、アルジェリア戦争(アルジェリアのフランスからの独立戦争)を概観しておく。

1830年以降、フランスは地中海対岸のアルジェリアを侵略し、1848年に直轄県を北アフリカに置いた。1881年にはチュニジアを、1912年にはモロッコを組み込むなど、地中海をパリのセーヌ川にたとえるほどに、北アフリカを自国化し、同化政策に協力したユダヤ教徒や一部のムスリム以外の先住民たちを差別、抑圧していった。1945年の第二次世界大戦終結後、アジアから広がった民族自決権の流れのなか、北アフリカでも反仏抵抗運動が広がった。アルジェリア戦争は、1954年から1962年にかけ、主に仏領アルジェリアで勃発した独立戦争である(フランス政府は、長い間、戦争としては認定せず、「アルジェリア事変」「北アフリカにおける秩序維持作戦」と呼称していた)。フランス政府がアルジェリア戦争と記したのは1999年になってからである。

(一部Wikipediaと映画HPから引用)

本作に登場するマチュー中佐はフランスにおける反ナチ戦線を戦ったパルチザンのメンバーであり、ナチの抑圧からフランスを解放へと導いたメンバーの一人である。だが、植民地アルジェリアにおいては、反仏レジスタンであるアルジェリア民族解放戦線FLN(Front de Libération Nationale )への拷問と弾圧、そしてそれに伴う一般市民の虐殺の司令塔として描かれている。実在の人物ではないが、寛容が不寛容へと変質する国際政治の体現者、ハンナ・アーレントのいう凡庸な普遍的存在である。植民地下のフランス人も同様な存在として描かれている。

フランス兵による拷問の苦しさから仲間のアジトを自白した年老いた男。男はフランス軍の軍服を強制的に着せられ、フランス兵は男とカスバのアジトに乗り込む。壁の向こうには青年と子どもたちが身を潜めている。続いて1954年、アルジェの街並みが俯瞰される。そして街路の喧騒。路上には賭けトランプの胴元が。それは先ほどの壁の向こうに身を潜めていた青年である。不意の時間の経過に、観客である私は戸惑う。青年の名はアリ・ラ・ポワント。就学経験のないアリは少年時代から感化院になんども出入りし、土木作業員をしたものの現在は失業中。路上の賭けトランプで日々の糊口を凌いでいた。手に持つ紙幣の振り方、掛け声、このシーンは、カラックス『汚れた血』のアレックス(ドニ・ラヴァン)の路上の賭けトランプで引用され、『アルジェの戦い』を未見であっても、『汚れた血』の印象的なショットとして記憶している人も多いだろう。

途中の物語を時系列で箇条書きにすると…FLNの自浄作業により、麻薬や酒の販売・消費、売春の禁止と取り締まり。時には処刑。アリの同胞であるアフムドとファティマの結婚。FLN党員によりフランス兵士襲撃と爆破。フランス軍による検問強化と逮捕。それに対する報復テロと民衆の抗議デモ。FLN 組織の構造を洗い出すため、あらゆるアルジェリア・アラブ市民への尋問と捜査。FLN による8日間のゼネスト(この間、国連ではアルジェリア独立に関する討論)とフランス軍のマチュー中佐の策動によるスト破り。スト最終日、国連ではアルジェリア独立賛成が過半数に達することはなかった。FLN幹部ベン・ムヒディの逮捕と獄中自殺。アリの同胞ジャファーはマチュー中佐たちに包囲され必死で抵抗するが、家族を人質に取られたジャファーは投降し、断頭台へと消える…となる。

続いて1957年9月24日のシーンとなる。それはフランス軍の制服を着た年老いたアラブ人を連れ、マチュー中佐がカスバのアジトに乗り込む冒頭のシーンとつながる。仲間を次々と失ったアリたちは新たなテロの計画を練るのだが、身を潜めていたアジトは包囲される。フランス軍マチュー中佐は投降しなければ爆破すると警告。大勢のアラブ市民が見守る中、爆弾が仕掛けられ、時間切れで爆破される。アルジェを征服したと語るマチュー中佐。静かな日々が過ぎた後、どこからともなく市井の運動が沸き起こり、アルジェリア全土に広がる。1962年、アルジェリアは独立と映画は告げる。
独立後もフランスとアルジェリアの対立は続いている。

《監督のジッロ・ポンテコルヴォについて》
1919年、裕福なユダヤ人家庭に生まれる。ピサ大学で化学の学位。卒業後、ファシズムの台頭でフランスに逃れ、新聞の海外特派員としてジャーナリスムに身を置く。
1933年、パリで映画の世界に踏み込み、数本の短編ドキュメントの製作と助監督を経験。ロッセリーニ『戦火のかなた』(1946)に感動し、ドキュメンタリーを二本とった後、1957年、初の長編『青い大きな海』を製作。1966年『アルジェの戦い』を撮り、彼の代表作となったが、本作以外に見るべき作品はないとも言われている。

《補足:アルジェリアに関する私の2、3の体験》

1995年の夏、ひと月のフランス滞在中、私はイスラム救国戦線FSI(Front de Salutation Islamiqueと表現したように思う)によるテロを体験している。もちろん、テロの現場に遭遇したのではないが、パリ滞在中、しばしば利用する地下鉄サン・ミシェル駅爆破と凱旋門近くの爆弾テロがあった。そのときの「旅日記」から引用してみる。

*7月25日
テレビで、パリのサン・ミッシェル駅で列車爆破のニュース。爆弾テロだ。4人が死亡し、60人ほどが負傷。アルジェリアのイスラム原理主義絡みのテロなのかとの報道。
用語「テロ」は政治的表現なので使用したくないが、とりあえずテレビや新聞報道の用語に倣う。

*テロ以降のパリ
連日、新聞はテロの記事ばかり。数日後、イスラム救国戦線SFIから犯行声明。
パリ市内の至る所に武装した警察官。アラブ人らしき人への尋問。アラブ人を見たらテロを疑え、といった雰囲気でピリピリしている。私のような異邦人には理不尽な尋問のように見える。そんな状況を作ったのはフランスのアルジェリア政策ではないか。

*8月17日
夕方、場末のピザ屋で食事中、ラジオから爆弾テロのニュース。この夏、パリで2度目のテロ。凱旋門近くで爆発。ニュースによれば、観光客をも狙ったテロという。

2012年の映画日記から
映画日記だが、アルジェリア問題について書いている。フランス滞在中のことではありません。

*12月21日
新聞に、フランスの新大統領オランドのアルジェリアの議会での演説が紹介されていた。

アルジェリアは(フランスが支配した)132年の間、極めて不公正で乱暴なシステムに服従した。植民地主義がアルジェリアの人々に苦痛を与えた』と述べた。明確な謝罪の言葉はなかったが、フランス側の虐殺行為を列挙した。議員らは立ち上がって拍手を送った。

(フランスの新聞だったのか日本の新聞だったのかは忘れました)

フランスも正しい判断ができるようになったのか。あったことをあったと認めるなんて簡単なことなのだけれど、国家や権力はそんな当り前のことができない。まあそれはそれとして、オルランド大統領の発言を読み、アルジェリアに行きたくなってしまった。アルジェリアには20代の時から行きたかった。太陽がジリジリと照りつけるカミュ『異邦人』の故郷アルジェ。ムルソー青年のように、アルジェの街を自分の足で歩いてみたかったという、ただそれだけのことに過ぎなかったのだけれど…。いま思えば青過ぎる過剰な想いである。だが、30代になってからも、そんな恥ずかしいような想いを心に秘め、フランスに行くたびに地中海を船で渡り、アルジェリアに渡航しようと考えた。ところがフランスのアルジェリア政策による政情不安。フランスで10人のアルジェリア人が拘束されるとアルジェリアでは同人数のフランス人が暗殺され、その応酬として、フランスはその関係者と思われるアルジェリア人を逮捕。「目には目を歯には歯を」の連鎖が果てしなく続いた。アルジェリア政府はフランス人の生命は保障できないと声明。血で血を洗う抗争は激化し、アルジェリアに入国するすべての外国人の生命を保障できないとまでになった。私のフランス滞在中、爆破テロが2度も起きたことがある。1度目はフランスに到着して数日後、私の定宿としているホテル近くの地下鉄サン・ミシェル駅構内で。数人の死者。新聞の1面には「イスラム原理主義者の犯行か」との見出し。翌日から、地下鉄に限らず、街の至る所に警官が立ち、アラブ系の人たちへの尋問という沈鬱な雰囲気だった。アラブ人と見れば理由もなく尋問しているような気がした。尋問を受けるアラブ人の表情に精彩はなかった。理不尽な尋問であったとしても、パリで生きていくためには拒否はできないのだろうなと思った。アラブ料理店に入ることも憚った。治安維持とはいえ、旅行者に過ぎない私ですら、異邦人としての居心地の悪さ(お前は外の人間だという眼差し)を感じるほどであった。テロから数日後にイスラム救国戦線FSIから犯行声明があった。2度目は帰国数日前、凱旋門近くで。幸い死者は出なかったのだが、新聞の見出しに「観光客も標的か」とあった。大統領の今回の発言で、アルジェリア旅行の不安は解消できるのだろうか。状況が急激に改善されることはないだろうけれど、年齢的にも、訪問するのならば数年以内だろうなという気がする。外務省の《渡航危険情報》では、「渡航の延期をお勧めします」「渡航の是非を検討してください」が少なくない地域に示され、他の地域は全て「十分注意してください」とある。

2024年現在の《渡航危険情報》も変わりはない。南部国境付近は最高レベル4「退避してください。渡航はやめてください」となっている。

(日曜映画感想家:衣川正和 🌱kinugawa)

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