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【映画評】 スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』

過剰でも過不足でもなく、映像と台詞が程よく物語へと誘ってくれる。女子も男子もそれぞれの悩みで自分のことで一杯なのだが、スクリーンのこちら側にいるわたしはどこかすがすがしく感じる。わたしもロンドンへの列車に乗ってみたい。

英国の青春映画スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』God Help The Girl(2014)を見て、そんな印象を受けた。

『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を見て、わたしも女子のように恋バナに花を咲かせたくなったけれど、それは無理、というか恥ずかしい。でも、ちょっぴり喋らせてもらえれば、たとえルームシェアだとしても、一つ屋根に2人きりでいるイヴ(エミリー・ブラウニング)とジェームズ(オリー・アレクサンダー)の関係、キャシー(ハンナ・マリー)が言うように、何もないなんてちょっと変。普通なら恋人の関係になってもよさそうなのだけど、ジェームズはイヴとアントン(ピエール・ブーランジェ)との関係を気遣ってか、プラトニックというか、イヴが精神的な病だからというのもあってか、優しい気持ちで見守っている。でも、ある時、ふとイヴと唇を重ねる不器用なジェームズ。「なんで早くこうしてくれなかったの」とイヴ。そうなんだよジェームズ。優しさだけじゃダメなのだよ。と分かったようなことを思うわたし。

精神の病で入院中のイヴ。彼女はいつもピアノに向かい曲を書いて日々を過ごす。人を感動させる曲って何?いつも自問している。ある日、無断で病院を抜け出し、向かったライブハウスでアコースティックギターを抱えたジェームズと出会う。ジェームズもグループの仲間と折が合わなく、客からもブーイング状態で悩んでいる。さあ、これがガール・ミーツ・ボーイの始まりだ。音楽とは神のみぞ知るとジャームズは言う。でも、神はそうたやすく降りて来てはくれない。降りてはくれないけれど、人間関係にも音楽にも不器用なジェームズにイヴは惹かれる。自分と同じことで悩んでいる。行き場のないイヴにルームシェアを申し出るジェームズ。音楽と恋愛と病。ここには女子と男子のすべての物語がある。この映画が面白くないはずはない。

でも、イヴはグラスゴーの街を離れ、ロンドンの音楽学校に入ることを決意する。決意するって、決意だけでは始まらない。決意とは、何か大切なものから離れるってことでもあるのだ。離れると決意とは同体なのだとうことをイヴは知っている。ロンドンへの列車にひとり乗り込むイヴ。ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール。神のみがイヴを救うのだろうか。神はジェームスやキャシーの愛も、きっと連れてってくれるに違いない。

デヴィット・ロバート・ミッチェル監督の米映画『アメリカン・スリープオーバー』(2010)も恋愛に対し不器用な男子・女子の物語だったけれど、米・英とも、このような映画がトレンドになっているのだろうか。

本作はリチャード・レスター『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』を連想させたりもするけれど、それよりもラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のライトな系譜なんだと思う。

エミリー・ブラウニングはどことなくケイト・モスに似ている。注目したい女優。そしてハンナ・マリーは可愛くてキュート。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』予告編


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