【映画評】 河瀬直美映像個展(ドキュメンタリー作品集)覚書
1本の映画を見て、その中から外部としての幾本かの映画を思い浮かべることがある。それは引用であったり、他者へのオマージュであったりするわけだけれど、そのような直接的な関連ではなく、表現の概念的な眼差しというか、カメラのこちら側の思考への共鳴というものを感じることがある。チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』のクレジットを見て、ああそうなのか、と思った。チャン・コンジェが描く世界に、河瀬直美監督は共感したに違いないと思ったのだ。
河瀬監督の初期作品には、フィクションとドキュメンタリーの境界を自己の存在をも危うくする、震えるような横断を見ることができる。それと同じように、『ひと夏のファンタジア』にも、フィクションとドキュメンタリーとの境界領域が映し込まれているのを覚えたのだ。
『ひと夏のファンタジア』を想いながら、
京都市麹屋町通五条上ルLumen Galleryで開催された《河瀬直美映像個展》を覚書として記しておこう。
カンヌ映画祭「金の馬車賞」受賞後の劇映画には興味を覚えないのだが、これから記そうとしているドキュメンタリー作品には、河瀬監督の映画への明確な視点が見られ、わたしにはそれらすべてが興味深く、なにものにも代えがたいほどの瑞々しさに満たされているのを感じる。
以下は、《河瀬直美映像個展》のわたしなりの覚書である。10プログラム全25作品すべてを見たわけではないから、不完全な覚書である。
上映形式はフィルムではない。保存の関係上、ビデオ・デジタル上映となった。貴重な作品群であり、物理的にも作品的にも、痛々しいほどの残酷さにつつまれていた。
《河瀬直美映像個展(覚書)》初期作品集
*『私が強く興味をもったものを大きくFIXできりとる』(1988)
8mm 5分 サイレント作品
本作は8ミリフィルムカメラとの運命的出会いから生まれた、河瀬直美が撮った初の作品である。
「FIXできりとる」とは、河瀬の映画宣言であり、映画に対する永遠のテーマである。
「全てのものが新鮮かつ発見であり、町を歩くのが楽しくてしかたがなかった」と河瀬は振り返る。フィックスでどっしりとカメラを構えることで、見たもの、感じたことが、素直に映し出される。とりたてて何かが起きるわけでもなく、ただ日常が流れてゆく町の風景。そこには、町を歩き発見する新たな町の風景がある。町そのものが新しいのはない。フィックスで町を見ること、そしてフィルムに定着されること、そこから生まれる風景の新鮮さ、という感性の豊かさが、町として映し出されるのだ。
*『私が生き生きと関わっていこうとする事物の具体化』(1988)
8mm 5分 サイレント作品
「私が生き生きと関わっていこうとする」とは、フレームの揺れから推察して、手持ち撮影によるFIXという意味だろう。前作『私が強く興味をもったものを大きくFIXできりとる』と比べ、対象への視線の在り方がより明確になっている。河瀬の撮ることの意思・興味の変化を感じる。
*『My_J_W_F』(1988)
8mm 10分 サイレント作品
Jはjump(飛ぶ)、Wはwant(欲望)、Fはfly(飛び立つ)。
フェミニズム小説と言われるエリカ・ジョング『飛ぶのが怖い(Fear of Flying)』(1973)を連想したりもするのだが、はたしてどうなのだろうか。flyには、衣服などの「ファスナー隠し」の意味もある。
映画冒頭に「河瀬直美」と白文字で書かれた黒紙があり、ついで黒紙が下がるとそこには河瀬直美の顔がある。作家としてのメモリアリズムの意思表示とも思える。あるいは、作家という象徴記号の明示でもあるのだろうか。
*『パパのソフトクリーム』(1988)
16mm 5分
河瀬が18歳のときの、初の16ミリ監督作品である。
この作品から物語性への移ろいが露わになる。
河瀬は娘という役を演じる。河瀬が河瀬らしい役を演じるということ。そんな意味で物語中の娘は河瀬自身と鏡面関係にある。彼女にとり、撮るとは、リアルとフィクションとの境界の曖昧性を意識化する行為でもある。幼年時代の河瀬の写真が挿入されるが、そこには4年後、父との交感を撮った『につつまれて』の萌芽を見ることができる。
*『たったひとりの家族』(1989)
8mm 10分
はじめて祖母にカメラを向けたドキュメンタリー作品。河瀬にとり家族とはなにか。最初のファミリーヒストリーであり、河瀬の表現の要となるものである。
*『小さな大きさ』(1989)
16mm 10分
二作目の16ミリ監督作品。重厚な雰囲気が漂う作品である。
*『今、』(1989)
8mm 5分 サイレント作品
豊かな環境音があるのに、サイレントとして呈示された映像。そこに河瀬の眼差しの「今、」がある。カメラを手にしてまだ1年たらずというから驚きである。
映し出される映像からは流れる水音や町の環境音が生々しく聞こえる。「今、」ここにいるという、河瀬の存在の眼差しがうかがえる作品である。
*『幸福モドキ』(1991)
8mm 20分
黎明から翌日の黎明までの、自分探しの少女の心象的フィクションの瑞々しさ。
奈良の若草山なのだろうか、頂での人の配置、これは植田正治の砂丘シリーズを想起させるのだが、小津安二郎『お早よう』(1959)の土手のショットをも思わせる印象的なショット、あるいは映画の亡霊ともいえる。
*『につつまれて』(1992)
16mm(撮影8mm)40分
本作を初めて見たのは世田谷美術館だった。わたしにとり、河瀬作品との初の出会いだった。いつだったかは覚えていないが、20年以上前のことだと思う。併映作品におばあちゃんが出ていたから、『たったひとりの家族』(1989)との同時上映だったように思う。
『につつまれて』は光の捉え方が印象的である。河瀬の作品は光に特徴があるのだが、河瀬作品との初めての出会いが『につつまれて』だったから、その印象がより一層強かった。ただ、本作の光はジョナス・メカス作品に見られる光とは違う。メカスの場合、光は粒子としてあり、撮影されたその場所に溶け込む光としてであった。だが、河瀬作品『につつまれて』の光は、場に溶け込む存在としてあるのではなく、大阪から東京への移動する光、光自体が移動により変質する存在としあった。光のロードムービーと言ってもいいかもしれない。いうまでもなく、メカスにも移動はあった。だが、メカスの場合、光自体としては移動しない。移動した先の、たとへば、難民の先にある米国であるとか祖国リトアニアへの旅、その移動した場に溶け込む光としてあるのだ。つまり、河瀬の光は波という速度であり、メカスの光は粒子という物質としてあるのだ。
本作は、生後まもなく生き別れとなり記憶ですら定かでない父親を探し求めながら、自らの出自を追うプライベート・ドキュメンタリーである。25年前の自己の肖像写真や戸籍の転出入記録を頼りに、まだ見ぬ父親に会いに大阪から東京へ向かうのである。カメラはひたすら父の記憶を追うのだが、それはやがて自己へと向かう痛々しいほどのカメラとなる。そして自己と父親との間を激しく振動する様子を克明に映し出す。
河瀬は父親と再会する。言葉をなくす父親の反応。光はここに止まるのか、それとも漂い続けるのか。不思議な時間が流れていた。
河瀬は「お父ちゃんと会うてきた」と、携帯で母親に連絡する。東京・大阪の25年の凝縮した距離の時間と、携帯という距離を超える時間。距離と時間(過去という時間も)が光につつまれる。
ドキュメンタリーとフィクションとの境界領域の海を遊泳する河瀬直美が、みごとに立ち現れる作品である。
河瀬にとり8ミリカメラを手にとり撮影することは、自己の〈生〉に触れるとこでもある。自分が生きている存在の手触りを自己の身体に落とし込めるアプローチとしてあるようだ。河瀬、8ミリカメラ、ファインダー、フィルム。触れることは残酷であり、悦びである。
山形国際ドキュメンタリー映画祭国際映画批評家連盟特別賞を受賞している。
*『白い月』(1992)
16mm 54分
淡々とした日常を描いた後のありえない事態という結末。物語の終結はこれでいいのかとの議論があった作品である。ありえない事態とは、日常的な世界の後、非日常的な世界が突然訪れることで、鑑賞者を思考停止に追い込む描写である。
この作品のみで判断するなら疑問の多い作品とも言えるだろうが、視点の遠近(おちこち)としてみるならば、不意に挿入される性急な物語の終結も不可能ではないと思えた。人が「個」であり続けることの困難と意味を問う作品である。
そして多用されるカーテン・ショット。
オーバーラップ、フェード・イン、アウトによる時間経過ではなく、物語にはあまり寄与しない、いわば不経済なショットによる時間経過と場所移動。構図やリズムへの河瀬の強い意志を感じた。小津作品への参照があるのだろう。
*『杣人物語(そまうどものがたり)』(1997)
16mm(撮影:8mm+VTR)73分
舞台は劇場用長編デビュー作『萌の朱雀』(1997)と同じ奈良県西吉野村。河瀬がたびたび足を運んだ地である。
杣とは、古代・中世の日本では国家・権門が建設用材の伐採地として設置した山林のことで、同時に、そこから伐り出された木のことを指した。現在では、林業従事者のことをいう。
西吉野村は美しくも厳しい山塊に包まれ、自然に寄り添う杣人たちの住まう場である。彼らの姿を捉えようと、河瀬はカメラを手に西吉野村の山塊に向かう。この土地を舞台にした、もうひとつの『萌の朱雀』とも言われている。
『たったひとりの家族』(1989)、『につつまれて』(1992)、それは家族にカメラを向けた作品ということもあり、憎悪、慈しみ、葛藤という、河瀬の、うねるような心の断片の集積だった。だが、『杣人物語』はそうではない。河瀬のカメラは杣人に接近しながらも静かに寄り添い、彼らの声を丁寧に拾いあげる。老齢の杣人たちの過去、先だった妻、山を離れた子供たち、今、その先にある自らの死。そこには河瀬作品の特質である自身の出自はなく、彼らの今に寄り添う河瀬がいる。河瀬は影として一度姿を現し、その他は杣人に寄り添う静かな声として登場する。
この作品は8ミリフィルム+VTRで撮られている。クリアーだけれどVTRは空疎で厚みがない。それに比べると粗いけれどリアリティーを感じる8ミリフィルム。手触り感、色がのっていて生々しいリアル感。改めてフィルムの存在を思う。35ミリではない8ミリフィルムだけれど、されどフィルムである。
*『玄牝』(2010)
BD(撮影:16mm)92分
愛知県岡崎市にある吉村医院を舞台にした作品である。
薬や医療機器を介入せず、母体本来が持っている〝産む力〟を信じて自然分娩をおこなっているという。
生と死、それは対義語ではあるけれど対立語ではない。自然分娩とは生と死が矛盾なく在るということのようだ。
母体と胎児を同時に守る、それが現代医学の使命である。そこでは死は生との対立としてあり、死を乗り越えることが生を守ることにつながる。だが、生、死をいったい誰が制御し決定するのか。母体を守るために胎児の死があるかもしれないし、胎児を守るために母体の死があるかもしれない。自然とはそういうことである。それを決定するのは医者という他者ではない。それぞれの、母体、胎児という身体である……これは、ボルヘスの「文学は自然を模倣するが、自然は文学を模倣しない」と呼応しないだろうか……。
とは言っても、そのことを自分の精神にストンと落とし込めるのかと問われれば、そう簡単なことではない。そこには、ある種の宗教的、倫理的裏づけを、自己の中に見出さなければならない。現代社会システムにおいて、母体そのものが身体として自立しているわけではない。個体差にもよるのだが、身体の上位に現代医学があるという母体もあるに違いない。その状況の中で、自然分娩の選択は、生と死をどのように捉えるのか、ということに深度をもって結びつけなくてはならない。生を受けたその瞬間から死へと進む、それが生の時間でもある。そこに流れる時間を〈自然〉と言い換えてもいいのだが、その自然が、自己の身体へとストンと落ちてくるか否かという問題でもある。
河瀬は2004年に長男を出産している。そのときのことを振り返り、「命とはただひとつで存在するものではなく、連綿と続いてきたもの、そして続いていくもの」と述べている。これを、身体としての母性と言ってもいいだろう。
自然分娩は生の意味を根源化、もしくは普遍化する試みである。だが、身体としての母性を、とりあえずは、〈神秘的〉、とわたしは述べるに止めておきたい。それは、身体としての母性がなにであるかを想像することはできても、わたしは身体として経験していないし、経験もできないからである。だからといって、このことが思考を止める理由にはならないことも理解できる。
以上が河瀬直美映像個展の「覚書」である。
(補足)
『萌の朱雀』(1997)以降、彼女の長編劇映画はカンヌ国際映画祭で新人監督賞や金の馬車賞を受賞するなど、海外での評価には特筆するものがあった。だが、『Vision』(2018)で見るように、日本の自然やアニミズムといったスピリチュアルな主題に凭れかかったように思える作品制作が気に掛かる。そこには、海外から見る日本の精神性や日本再発見というものがうかがわれ、日本に住むわたしには、サイードが指摘した「オリエンタリズム」のようにも見える。これは初期作品である『玄牝』にその萌芽が見られるとしても、河瀬監督が海外ではなく、自己とどのように向き合うのか、見つめていきたい。
文中冒頭で言及した河瀬直美プロデュース作品
チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』
の映画評です。
(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)