【映画評】 濱口竜介『はじまり』。仕立てのシンプルさの映画

シンプルを装うことは簡単だが、映画であることのシンプルさを示すのは必ずしも容易ではないだろう。シンプルさを示すとは、「これは映画であり、映画以外のなにものでもない」、と思える映画を撮るという意味において。

濱口竜介『はじまり』（2005）を目にし、そのような映画にめぐり会うことができたと、わたしは思った。
7ショット……だったと思う……13分。最初の2ショットと最後の1ショットは移動長回し。中の4ショットは軽快な刻みの固定カメラによる短いショット。いうまでもないが、映画であることのシンプルさとは、この簡潔なカットと作品の短さのことではない。

32歳の自分であるとかの、どこか空想めいた独り言を語りながら土手を歩いている女の子。それをカメラは長回しで捉える。すると、自転車に乗った同級生の男の子が横からフレームに入る。「年賀状を書いたよ」と男の子は女の子に告げる。「わたしは年賀状を書いていない。でも、帰ったら年賀状を書くね。今日中に出したら、正月のうちに届くかな？」と女の子。「僕だけじゃなく、みんなにもね」と男の子。「うんそうする」と女の子。そして、高校進学についての会話から、二人は中学3年生であること推察できる。

二人は分かれ、カメラは歩く女の子を追う。そしてトンネルをくぐり抜けると、先ほどの男の子ともうひとりの男の子に出会う。
「年賀状届いたよ」と女の子。「僕には届いていない」ともうひとりの男の子。「みんなに書くように言ったのに」と男の子。「君にしか出さなかったの」と女の子。微妙な三角関係。（台詞の言い回しは正確ではない）

女の子のプロットの面白さは、シチュエーションは違うけれど、エリック・ロメール脚本、ゴダール監督の『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』を思い出させる。『はじまり』だけでなく、たとえば『PASSION』のラストのソファーに腰掛ける恋人たちのシーンは『愛の昼下がり』のラストであり、濱口竜介作品には、ロメールへの深い眼差しが見られる。濱口作品特有の仕立ての面白さは、ロメールの影響があるのだろうか。

そして、なによりもこの映画に驚嘆するのは、男の子と別れた後の先述の二度目の長回しによる移動撮影である。男の子と別れ軽快に歩く女の子をカメラは捉え、いくぶん長めのトンネルを潜ると先ほどの土手とは違った場所。そして、そこで二人の男の子と出会うわけなのだが、場所とともに、時も師走ではなく新年に変わっている。トンネルの長回しにより、女の子をとり巻く場所と時間の驚くべき飛躍が見られるのである。

この飛躍という事態は何だろう。おそらく黒沢清なら、テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』（1975）の長回しを参照するだろう。
酒場から出てきた酔っぱらいたちが歌いながら街を歩く長回し。この数分の長回しで、場所の特定が定かでなくなるばかりか、彼らはファシストのはしくれになり、時はいつの間にか数十年経っている。映画を見る者は、この突飛な飛躍の了解という、映画との共犯関係を受け入れることで作品と折り合う。
映画とは、空間と時間の圧縮された移動を無条件に引き受けることの了解であると、『旅芸人の記録』は示しているのである。このような飛躍は映画特有のコードであり、それを観客の無条件な了解へと導けること、それが映画であることの必要十分な条件ではないかのと、アンゲロプロスや『はじまり』を見て思うのだ。

濱口は20代半ばに撮った『はじまり』において既に、映画であることに自覚的であったと、わたしたちは理解して良いだろう。13分間という短い作品で、三角関係という、映画の普遍的恋愛感情、そして空間と時間の飛躍的な移動、それらをさらりと示し、そしてそれ以外は何も示さなかった彼の才能は、まさしくシンプルさを示すことのできる異能の監督としか言いようがないと思うのだ。そして本作品は、映画の始源としての「はじまり」でもあるのだ。

（『旅芸人の記録』については、黒沢 清『21世紀の映画を語る』「映画のショットについて」（boid刊）を参照しました）

（日曜映画批評：衣川正和🌱kinugawa）