【映画評】 ギョーム・ブラック『遭難者』 バカンスの最大の敵は遅延だ
ギョーム・ブラック『遭難者』(2009)Le naufragé
フランス北部の小さな港町オルト。
サイクリング中にパンクしたことで、「くそっ!」と草むらに自転車を投げ捨てるリュック(ジュリアン・リュカ)。
どこかゴダール的な諦念の罵声と行為も思えるのだが、こんなことで映画の始まりを見せるなんて、ギョーム・ブラックは尋常な監督ではないことが既に読み取れる。そしてよりによってか、どう控え目に見ても冴えないとしか思えない男シルヴァン(ヴァンサン・マケーニュ)が通り掛り、サイクリング男を遅延へと誘い、バカンスの入り口の時間を先へ先へと延ばすことになる。
バカンスで最も恐れなければならないのは時間の遅延である。バカンスとは時間の停滞であり、時間が際限なく引き延ばされる遅延とは対極にある時間の有り様と言ってもいい。
停滞とはそこに在るということであり、始まりと終わりがあらかじめ定められている時間帯であり、バカンスとは、停滞という弛緩した時間帯にベッタリと、なすがままに身を任せることである。これがなければバカンスとはいえず、それは単に、強要された時間でしかない。
だが、遅延とは終わりの見えない未来へと結論を先延ばされた制御不能の様態のことである。リュックが映画冒頭で「くそっ!」と吐き捨てたのは、遅延のプレリュードとしての予感と言えないだろうか
『遭難者』は『女っ気なし』公開に当って併映される25分の短編なのだが、『女っ気なし』にも出演し、やはり冴えない男シルヴァンを演じるヴァンサン・マケーニュを遅延の導き手として登場させるギョーム・ブラックの才能は、やはり尋常ではない。そしてマケーニュの存在自体が遅延の装置であると確信するのである。だから彼を出演させることで、バカンスへの憧れを抱く映画を見る者も、ハラハラドキドキの、時間の漂流者(naufragé)となるのである。
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