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【映画評】 ローズマリー・マイヤーズ『ガール・アスリープ Girls Asleep』 ルーキーのフォーマット
(冒頭写真=The Guardian)
「ものごとを面白くさせるのはいつだってルーキーたち」
というテーマのもと、
京都と東京で開催された《ルーキー映画祭〜新旧監督デビュー特集〜》。
その中から、オーストラリアのローズマリー・マイヤーズ(Rosemary Myers)監督作品について感想を述べてみたい。
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ローズマリー・マイヤーズ『ガール・アスリープ Girls Asleep』(2015)
こんなにもポップな色彩感覚の映画があっただろうか。
ポップな色彩感覚といっても、原色であるとか画面から色彩が溢れ出るというのではない。それとは逆の、単一性へと還元されるような、ある種の整序・統一を感じさせる色彩である。動としての色彩ではなく、しっとりとした潤いある静としての色彩、濁りのない色彩。それが逆説的に、物語への動的なベクトルを作り出しているのだ。これは豊かでありながら、静である色彩から物語の動へと誘引する、新しい映画フォーマットだと思う。そしてこのことが、長編第一作という時間の始まりばかりではない、手法としてもルーキーである所以である。
つまり、どういうことなのかと言うと、本映画祭のトレーラーで話題となった女子生徒グレタ(べサニー・ウィットモア)のパーティーの開始を告げるダンスシーンの躍動感も魅力なのだが、それよりも、わたしが一番印象的だったのは、冒頭の数分間の長回しのショットにおける色の配置と移動、そして〈縦/横〉の構造である。
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学校の校庭だろうか、長椅子があり少女が腰掛けている。少女は転校初日のグレタ。彼女はどのように振る舞っていいのか不安そう。校庭トラックの薄いブラウン色、芝生のグリーン、そして背後にはトラックと同色の壁面。少女の制服は腰にリボンのあるベージュがかったワンピース、そして髪はつやのあるブラウン。色の巧妙な配置、そしてそのどれもが突出することのない、完璧にコントロールされた色調のファーストショットにまず感動する。
つづいて移動が始まる。グレタの後方では生徒たちが左右に移動。ここで、冒頭に述べた、制服の、そして小道具の、壁面や芝生の色を通奏としたフレーム〈内/外〉の色彩の移動が物語を自動生成させているようで、映画を見るわたしの気持ちを高揚させる。
移動はまだまだ呈示される。
横からフレーム内に一人の男子生徒。生徒の名はエリオット(ハリソン・フェルドマン)。エリオットはグレタのそばに腰掛ける。エリオットはグレタに話しかけるのだが、グレタはどのように反応していいのかわからない。その間も、生徒たちがフレームを右から左へと、そして左から右へと移動。中にはボール遊びに興じながら左右に移動もする。決して縦の移動、つまりフレーム前方から後方への移動、そしてその逆の移動もない。まるで奥行きを欠いた演劇の舞台を見ているような気もする。もっとも、本作品は最初、舞台作品としてあり、監督はその舞台の作・演出でもあるのだ。
ところが、横の構造だけでこのシーンを完結させるのかと思いきや、縦の構造も、ためらいながらではあるが三度示される。
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最初の二回は、緩やかにグレタとエリオットに接近するカメラ移動。すると突然、カメラは急激に後方へとさがるかと思いきや完全には後退せず、フレーム右からボール遊びに興じる生徒がフレームインし、生徒はすぐさま横へとフレームアウトする。前進・後退というカメラの二度の縦移動はあったものの、基本的には舞台の書き割りと同じく横の構造で統一されており、縦構造の不在を冒頭のシーンで呈示しているのである。
しかしそれに続くシーン。ここで、本作品の物語構成として重要な、三度目の縦構造の呈示がされる。
それは深い森の固定ショット。学校の校庭に続いて森の深さという奥行きの縦構造の呈示。そしてどこか森への畏怖とも思える表情のグレタの顔のクロースアップ。森と対峙するグレタの顔のショットである。この三度目の縦構造が、映画終盤へとつながる、グレタの深層(あるいはファンタジー)を示す重要なショットとなのである。
これが本作品冒頭で示された横と縦の二層構造である。
見事な横構造から縦構造(=奥行き)への切り替え。その後は、平板な日常と、森の奥行きという縦構造。〈縦/横〉、両者の対峙が本作品の主題でもある。横構造は移動という即物的構造であるのだが、縦構造は、グレタの幼年期の記憶へと繋がる時間構造でもあり、失ってしまった幼年期との邂逅、自己の再生でもあるのだ。
冒頭の数分間で、色彩と構造のフォーマットを見事に示し、それが時間軸としての縦構造へと転位させたローズマリー・マイヤーズ。間違いなくルーキーにふさわしい監督と言えるだろう。
(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)
ルーキー映画祭トレーラー(京都みなみ会館)
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