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少し前の自分と対話する

少し前に書いたnoteを読んだ。
ありがたいことに一番スキをいただけた自己理解について書いたnote。

この中で「これが好きだと説明するために好きなものを作っていた」と書いていて、その通りだったんだけど。

最近、その頃好きだった音楽を久しぶりに聴いた。
何回も何回も聴いていたから当然覚えていて歌詞を見なくても完璧に口ずさめたりして。
気が付いたらすごく楽しい気持ちになっていた。
そして、好きだなぁって思った。

確かに、説明するために好きになったものだったけど、当時の私の生活を間違いなく彩ったもので、それは今でも同じなのかもしれないと感じた。

好きになった理由や経緯なんてどうでも良いことのような気がする。
それなのに誰かに説明する全うな理由を探しているみたいだ。

理由を語るにしても、
「友人が好きだと言っていて聴いてみたら私も好きになった」
それで良いはずなのに、
「好きだと説明できるものを探していて、それで好きだということにしたから、本当に好きなのかは分からない」「自発的に好きになったものではない」とか、もうややこしく考えすぎて自分でも訳が分からなくなりそうだ。


本当は苦手なものを好きだと言っていたことに気付いてから、昔好きだったものに対して少し懐疑的になっていたところもあった。

今もまだ自分の気持ちに対する感度が鈍いところがある。

周りのあらゆるものに対して、本当はどう思うのか自分に問いかけて本当の好きを探していきたい。

「自分のお気に入り」に囲まれて生活することに憧れる。

noteを見直すと結構気づきがあるし、自分と対話するみたいで良いなと思った。


ちなみに、高校生のときに知って、それ以降ずっと聞いていたアルバム。
当時も今も私の生活を彩ってくれているみたい。



こまち

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