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歴史を学ぶ、とはどういうことか考えた

大学生のときから歴史がすきだった。

いや、振り返るとじつは小学生か中学生のときが原点だとおもうのだが。なかでも特に、大学時代はまさに「日本史ブーム」だった。

当時、大河ドラマで「西郷せごどん」を毎週テレビにかぶりつくように観ていたこともおおきい。

そんななか、通っていた大学の図書館でなにげなく手に取ったこの本。

それは誇張でもなんでもなく、ただそのおもしろさに身震いがした。通学の電車のなかで、たしか3巻ぐらいまで読み進めた。

どうしてそのあと続きを読むのをやめてしまったのかはあまりよく覚えていない。

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子どもの頃や学生時代の経験って、だれにとってもたぶん重要で。僕のいまの歴史好きは、この本によって構築されたとおもっている。

しかし、当時は歴史にたいしても本にたいしても、今ほどの熱量は到底なかった。だから続きを読むことをやめたのかもしれない。借りるだけで買うことはなかったんだとおもう。

最近になって、上で添付した1巻の文庫本を買った。

さらについでだからと、5巻も買った。

5巻は、「鎌倉時代の前期」である。源頼朝と鎌倉幕府の誕生から、北条泰時と御成敗式目あたりまで。そう、完全に「大河ドラマ」に影響されて買った。復習しながら楽しく読んでいる。

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こうしてみると、というか僕は以前からうすうす感じていたのだが。

僕は歴史がすきだが、特定の専門分野というものがない。大学で専門的に学んだわけではないうえに、あくまで趣味の範囲にすぎないから。

だからすぐに影響される。半年後ぐらいには、「徳川家康にハマっている」とかいう様子が目に見える。

きわだって興味ある時代もすきな人物もいない。しいていうなら京都の歴史や新選組ぐらい。でもそれは「今日の晩ごはんは何食べたい?と聞かれたときぐらい、ただの定型文として答えている。

今はまだ。それでいいんじゃないかと。

専門なんてしぼらなくてもいいんじゃないか、とおもうようになった。

歴史をみるには「複眼的思考」が重要だ、とまなんだことがある。

戦争をする両者にはおたがいの正義があるように、1つの視野だけから歴史を辿ってもあまり意味がない。味方を知り、敵を知り、その社会を知る。

まるで近江商人の「三方よし」のような心意気で、いろいろなジャンルに興味をもつほうが長い目でみて効果があるのでは、と気づいたからだ。

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あと2週で今年の大河ドラマの放送が終了する。

最後になって、僕は坂口健太郎さん演じる「北条泰時」に注目している。

彼はドラマを観ているとわかるように、父である義時にかなり反発をしている。「父は間違っている。こんなふうには俺はならない。」そう言いたげなようすが毎週のようにうかがえる。

ドラマでは描かれないだろうが、泰時は「連署」「評定衆」「御成敗式目」と、まさに本物の合議政治をかたちづくった。

歴史をまなぶのは、なにも100年、200年もまえのことだけではない。泰時のように「父からまなぶこと」も歴史である。

これからも楽しみながら「人」についてまなんでいきたい。

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長屋 正隆
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