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【ありがとうが言える日まで】③もう1回結婚しよう
この記事には離婚寸前からやり直すまでの経緯に触れています。たのしいばかりの内容ではありませんので、読みたいと思われる方だけおすすみください。お酒に関する事情は個々に違いがあると思います。一個人の感想としてご理解のうえ読んでいただければ幸いです。
秋の空は希望と後悔のグラデーション
私が別れを一度決意した頃、なにかと旦那さんに連絡を取らなければならなかった。
事務風にさっぱりと連絡できなかった。
メールや第3者を介する手段があったものの、私の離職と治療が重なってしまったので面倒な手続きが多かった。
手っ取り早く話し合いたいし、正直、相手の様子を知りたい心理もあった。
事務的な話が終わるとどちらともなく、感情の吐き出しがはじまって、
どちらかが泣いてしまうという、不毛な現象が起きていた。
あの時は、こうしていたら。
この時は、ああしていたら。
旦那さんがいない未来を想像した。
それなりの幸せがあるような気がする。
それよりも、とても大きく、後悔している自分の姿が想像できた。
後悔していた。
旦那さんが壊れかけて、自暴自棄になってイライラしていたのに。距離を置いて心の中で放置して、嫌な奥さんになっていたこと。
立場が逆転したからわかる、相手の心境。まして旦那さんは男として結婚したばかりの家庭を支えていくつもりが、まさかの離職。
不甲斐なさから、将来や就活の不安を口に出来なくなっていた。
思い返せばたくさんある、時間は戻らないし、お互いに傷ついて傷つけたことには変わりはなかった。
だけど感情的によりを戻したって、今までと何も変わらない。
つぎはぎだらけで、子供じみていて、ただ後悔を懺悔しあう関係でしかない。
わたしたちって何が足りてなかったんだろう。何に縛られていたんだろう。
旦那さんと電話を切ったあと、窓の外を眺めた。
秋めいてきた空の色は、何の答えもくれなかった。
私たちが一緒に暮らしはじめた季節と、同じ空の色だった。
だけど、意外なところから答えをもらうことになる。
秋の空でもない、友達でも、母でもない。
ある人から。
「まずは生きてやってみてからさ」
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👇【ありがとうが言える日まで】の記事にあてた前書きです
チグハグだった私たち
少し時間がさかのぼって、私の決意が固かったころ
「もう別れる。別れるぞ!」
私はたぶん鼻息荒かった。
頭の中は別れたあとの清々しいライフプランを構想していた。
物件アプリをダウンロードしては、こんな物件に住んで、家具はアレもコレも新調しよう。こんな仕事もやって…。
でもある一定の箇所まで考えがいくとパタッと思考が閉じる。
わからない。なんだかモヤッとする。
疲れているだけかな…。
それを何日か繰り返しているうちに、体調が悪くなった。
旦那さんからは「別れたくない」と家族づてに話が来ていた。
怒るんです
うそでしょ。
自分から離婚だってなんだって、暴言吐きまくったあげくに、夜中出ていけ言ったのに…。
お酒から覚めて家族会議が繰り広げられ、あげく私もいなくなって、現実を突き付けられて初めて目が覚めたらしい。
ここまでしないと分からないの?
ばかなの?
信じらんない。
(エヴァのアスカばり)
別れたくないだって。怒りのこぶしがプルプル震えた。
旦那さんの本人に直接、本心が聞けなかったのでしばらく考えた。
酷いことをしても謝ればすむと旦那さんが、考えていると思うとそれだけで腹が立った。
今にして思うとホルモンバランスの影響もあって冷静さを欠いていたのかな。感情的になって判断できないことや、妊娠中に暴言を言われたことに対する怒りがこみあげてきて一種の母性ゆえの防御と攻撃性があったのかな…と振り返ってみたりする。
旦那さん本人と話す機会があって電話で話した時に、お酒を断っていた。
精神的な弱さからこうなってしまったと、謝罪があって、泣いていた。
しかし最初は信じることが出来なくて、泣いて済むなら誰でもそうするよって言い捨てた。
わたしはあまり怒りを面に出さないように気を付けているタイプ。よくも悪くも感情を抑圧するくせがある。
だから普段はよく怒らないね…なんてよく言われるけれど、
その時の私は、
本当に怒っていたんです。
でもその怒りと同時に、深い後悔の感情を知っていく。
深酒をして暴言を言われるのは初めてではなかった。
私の父親もお酒のクセが悪く、子供の頃にちょっとつらい経験をしてきた。
父が転職をきっかけにお酒を辞めたので、実家は年齢とともにお酒に関してはありがたいことに、穏やかに変わっていきました。
でも自分の旦那さんは大丈夫。変な自信というか、甘い甘い過信があって、今回の出来事は起きたと感じています。
個人的には苦しいひとは逃げていいと思います。
私も苦しかったから逃げて一時的に避難しました。
面と向かって戦わなくていいと思います。
公的な窓口に相談することも大切な方法だと感じています。
もう一度結婚しよう
世の中には素敵な人がたくさんいる。
旦那さんと直接会って、心身ともにボロボロになった私をみれば別れたいって思ってくれるだろう。そう言われれば、終わりにしようと思った。
旦那さんと1ヶ月半ぶりに再会すると10キロ近く痩せていた。お酒を辞めた上に、食べ物が通らなくなったらしい。
やせて小さくなった旦那さんは弱々しく見えたけど、それよりもボロボロになった私の姿をみて
「なんか変わったね」
と少し笑って。
「結婚、もう一度しよう」
そう言った。
正直、すべてを信じ切ることなんてできるはずもないけど、
私の心に別れの覚悟が薄れて、新しい私たちでやり直してみたいと覚悟した瞬間だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1729595940-wlUC3MvYtqHFgaskQK9eDNxo.jpg?width=1200)
「生きてやってみてからさ」
自分の心境を吐き出して両親に相談した。
母ははじめ、怒って怒鳴ったけれど。
母も苦労していた。
肩を落としながら深く目を細めて、遠くを見るように「わかったよ」と母は明るく言った。
深い深い「わかったよ」だった。
私は何度も謝った。
父のお酒のクセで苦労し、周りから離婚をすすめられたことがある母。
「離婚しろって周りに言われても、心が動かなかったらできないのよ。
あんた、今別れたらどう生きていったら分からないんでしょう」
後悔で泥まみれになった私の心を察した。
母は頭を抱えていた。
それと同時に私の将来を精一杯案じてくれた。
数週間後。
父にもやり直したい話をしたいと言った。
そしたら思いがけない答えが返ってきた。
「挨拶に来るなら、まず生きてやってみてからさ。
お前で言うなら、ちゃんと健康になって元気になれたときだろう。
それが何年先か分からないけど、その時に挨拶にくればいい。
おれは今は何も言えない。」
まずは生きてやってみてからさ。
生き様で、見せてごらん。
やってみてごらん。
父の言葉には覚悟と希望が混じって聞こえた。
そして私も、旦那さんも、人生という舞台から逃げようとしているのを見透かされたようでドキッとした。
父もお酒で人生どん底を味わった人だった。
私たち家族も巻き込んでお酒におぼれた父がいた。だから父は父なりに「生きてやり直しを誓った」ことがあったのかもしれない。にじみ出る覚悟のセリフ。
生きることから逃げ出したくて、何かをやってみることからも逃げ出したかった。最近でいえば、治療から逃げたくてたまらなかった。
それは後悔と向き合うことから逃げているかもしれない。
ときには逃げてもいい。怒ってもいい。泣いても、笑っても、人生のひとつ、ひとつ。
いつか笑って今日を思い出したい。そう思えた秋の日。
これからスタートダッシュまでとはいかなくても、ゆっくり二人で別々の場所でゆっくりと立ち上がっていきたい。
今は答えがなくても、生きてやってみよう。
もう一度出逢った気持ちになって、お互いを大切に生きてみようと思います。
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