【雑記】 私は、ハワイでは生きられない北極のシロクマだった(旅の思い出)
これは、私の大好きな本の一つ、『西の魔女が死んだ』の有名な一節。西の魔女こと、主人公のおばあちゃんが主人公にむけて言ったことば。
私は旅行を頻繁にする人間ではないので、意外と行ったことのある国というのは少ない。(※海外志向と旅行好きは必ずしもイコールではないという好例)
しかし、いざ旅に出ようとなったら、1ヶ月やそれ以上滞在する事が多かった。滞在中は現地の人となるべく同じような生活をして、同じような目線で物事を見たいと思うから。
そうやって旅という名のプチ移住をするなかで、ことあるごとに、『西の魔女が死んだ』の冒頭の一節を思い出す。
というのも、何故か私は自分の合わない場所にわざわざ言って、悶々と苦しむという経験をしがちだったから。
「ヒッピー&ハッピーな」ハワイへの旅
そのうちの一つがハワイへの旅だった。
私が大学院の頃、夏休みを利用して1ヶ月ほどハワイ島でファームステイをしていたことがあった。
ここでの生活は、人に話すとまず「夢のような生活だね」と言われるようなものだった。
ハワイ島で出会う人達は、誰もがハッピーそうで、ニコニコしていて、ヒッピーライクで、「ここは究極のユートピアだよ」と言っていた。
私もニコニコして、本当にそうですね、と受け答えしていた。
でも同時に、ハワイにいるときの私はいつにもなく心が不安定で居心地が悪かった。なんとなく、自分が無理をしているようで、本当はハッピーでもなんでもないことを感づいていた。それを、周りのポジティブオーラに負けて押し殺していたから余計に不安定になっていた。
結局後になってから理解したことは、ハワイの圧倒的な陽の雰囲気に私はついていけなかったのだった。
私は、ハワイでは生きられない北極のシロクマだった。
「毎日がお祝い&魔法のような「フロリダへの旅
同じような経験は、アメリカのフロリダにいた時にも体験した。
これは半年ほどのインターンだったので、旅行とは言い難いのだけど大きな意味でいえば旅の一つだと思う。大学生だった私はフロリダにあるウォルト・ディズニー・ワールドでインターンシップをしていたのだった。
ここでの生活も、人に語るとほぼ100%羨ましいと言われるような夢の生活そのものだった。
しかしここでも、みんなにとっての「夢の国」が私にとっては苦しくて苦しくてたまらなかった。周りのインターン生活達がとってもキラキラした笑顔で「今の生活は夢のよう」「毎日がとても楽しい」と語るのを見て、苦しんでる自分はおかしいのか?と罪悪感すら感じた。
唯一救いだったのは、私が働いているのがパークではなく直営ホテルだったこと。ホテルはパークとは少し雰囲気が違い、現地の人が多く働いていた。良い意味でキラキラしてなくて、あくまで生活のためにやってますという感じの人が多かった。しかし同事に仕事であっても楽しむことは忘れておらず、歌を歌いながら上機嫌で仕事をしていたし、なんだかんだで楽しそうだった。そしてある意味でフロリダの光と闇も垣間見えた。それが特に良かった。
※フロリダの闇の部分はフロリダ・プロジェクトを観るとよく分かる。
陰と陽でいうと、陰の部分。
多分私は「日常を忘れて夢の国で存分に楽しむ」事が出来ない性分で、陽があるなら陰もないと落ち着かない人間なのだろうと思う。なので、リゾート地やテーマパークとはきっと相性が悪いのだろう。
南極のシロクマがテーマパーク嫌いかどうかは分からない。でも私にとっては、なんだか落ち着かない、砂漠にいるような気分だった。
陰陽入り混じるコスタリカへの旅
そんな「シロクマ」な人間が、ここは居心地がいい…と思った場所が一つある。それが、コスタリカです。
コスタリカは、中米にある小さな国。こんな小さな国なんだけど、ものすごい自然豊かでかなりの種類の生態系が存在してるらしい。そして、国連平和大学があったり、永世中立国だったりも平和のイメージもある。
日本ではマイナーだけど、アメリカからだと割と近いので、アメリカ人が行く観光地としては結構人気。エコツーリズムが有名らしい。
コスタリカも方向性としてはハワイやフロリダと似た部分があるような気がするのだけれど、なぜだか私にとっては不思議と居心地良く感じる国だった。
陽気なラテンの国かと思いきや、現地の人は意外とシャイで落ち着いていて、沈黙が苦にならない。そこまでキラキラもしていない(←褒め言葉)。それに、よくも悪くも、光の部分と闇の部分みたいなものが、混在している国だと思った。
それは人々の貧富の差であったり、大国アメリカとの絶妙な関係性であったり、それにちょっとどんよりとした空模様だったり。
1番印象に残っている出来事は、共通の友人を通じて出会ったコスタリカ人の子に会いにいった時のこと。(『新しい友人』と呼ぶことにする)
もともと、コスタリカにいる間はフロリダ時代のルームメイトだった子のお宅にお世話になっていました。(『ルームメイト』と呼ぶことにする) その子のお家は裕福な家庭で、サンホセから高台の方に車を走らせた先にある家に、大きな庭とプールがついているような場所に住んでいた。もちろん、住み込みのメイドさんや庭師もいる。
一方で、新しい友人はコスタリカから長距離バスに揺られた先にある田舎町出身の子。お世辞にも裕福とはいえない。コスタリカは他の中南米諸国と同じく貧富の差が結構ある。なので、ルームメイトの子とは違い本当に慎ましやかな生活をしていた。
街の大学に通うために上京(というのか?)してたものの、小さなボロボロのアパートに数人のルームメイトと暮らす生活をしていました。
裕福なルームメイト宅では、部屋ごとにシャワーとトイレがついていた。それが、友人の友人のオウチではみんなで共有のシャワー。それも、あそびに行った時はお湯すら出なくて水シャワーを浴びるはめに。
でも何故か、この水シャワーの事が1番楽しい思い出として残っているんです。
大変だね、とか、冷たいねとか言いながらも、あの時が1番笑ってた気がする。
新しい友人は、経済的にも簡単に日本に遊びに来れるような状況ではありませんでした。でも、日本が大好きで大好きで、友人を通じて私が紹介された時も大喜びしてくれた。私たちはコスタリカへ行く前からたくさんのメッセージのやり取りをした。実際に会ってからは、私の話もとても興味深く聞いてくれたし、拙い英語でたくさん日本への愛を語ってくれた。そして、キラキラした目で言う。「いつか日本に行くのが夢なんだ」
結局はその後私の方の諸々の問題のせいで連絡が途絶えてしまったのだけど、あの時の新しい友人は今何をしてるんだろう?夢は叶えられたのかな?とふと思い出す。そして、冷たかったあの水シャワーのことも。
「シロクマ」が生きていたい世界
「シロクマ」な私が見たかった世界。良いなと思う世界。
それは、目を背けたくなるような事だとしても、しっかりと現実がみえている世界なのだと思う。苦しいことや辛いことが会ったとき、そこから一食目を背けたり忘れたりすることでリフレッシュできることもある。でも私という人間においては、そういう息抜きの仕方がきっと苦手なのだろう。(だからこそ、非日常を味わう短期での旅行もあまり行かないのかもしれない)
それよりかは、大変な物ごとの中にも楽しさを見出して笑いごとにしてしまう。そしてそれが出来る場所、一緒に出来る相手がいる場所が、私にとって居心地の良い場所なのだろうと思います。
それに気づけるというのも、旅の醍醐味なのかもね。
おわり。
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