【雑記】 自分には何が出来るんだっけ? 産休中に自分を見失う
仕事をしていると、良くも悪くも常に他人からのフィードバックを受ける。大人同士の会話も増える。
自分は他人からどう見られていて、何が出来て何を与えているのか…そういうものが日々の生活の会話の中で自然に交わされて自分の中に浸透し、「 あぁ自分はこういう人間だな」というイメージが鮮明になる。
でも、毎日小さな子どもたち(1歳児も0歳児も、どちらも他人と自分との境界線はまだまだ曖昧で、特に母親の私とはほぼくっついているような存在)と接していると、あれ自分ってどんな人間だったんだっけ?というのが分からなくなる時がある。
そんな話。
自分とは何かという根本的な問い
というか、今ここに存在している自分は確固たる存在としてあるんだけど、社会的にどうやって定義されていた存在なのかをわすれてしまう。社会的評価がだんだんと無色透明になっていくような感覚で、自分の輪郭がなんとも曖昧になったような感じがする。
別に今のこの状態が不幸せなわけではない。むしろ毎日は楽しくて幸せなのである。ずっと続いてゆくと良いなぁとさえ思ったりしてる。
でも同時に、社会に対して何かを与えられる自分でいたいなぁ、と思う自分もいる。これはワーママの性なのか?
仕事していた頃の話
自分で言うのもなんだけど、私は後輩達からは結構慕われていた。私の後輩たちは、皆私に仕事のこともそうでない事も色々と話して相談してくれた。私も私で後輩への教育にやりがいを感じていたし、相談をしてくれることが嬉しかった。
下を上手に育てていくことでチーム全体のレベルも上がったし業務改善もした。マネジメントの手助けにもなっているということで、上司からも右腕のような感じで頼りにされていた。
でも仕事から離れてみると、はて、具体的にどうしてそんなに評価されてたんだっけ?と分からなくなる。
話を聞いていたこと、仕事の質の向上に貢献していたこと…それってつまるところ何なんだ?
何を書こうかという問い
なんでそんな事をぐるぐると考えているかというと、このnoteがきっかけです。
最初はつらつらと、自分の書きたいこと書きたいように書いていた。今も基本はそうです。だけど同時に、せっかくなのだから自分だからこそ書けること、これを読んだ人が何かしら得られる物があるようなことを書きたいなぁという想いも最近ふつふつと湧いてきた。
それもあって、最近少し筆が止まっていた。
私自身は、過去や未来の自分自身のために書いている部分が大きい。育児日記も、子どもが大きくなった時に振り返ってしみじみしたり、長女のエピソードを、次女が同じ年齢・月齢になった時に読み返したい。そんな単純な動機です。
でもこうして公開記事として書いているのはどこかで、同じような誰かにも読んでもらえたら嬉しいなぁと思っているからだと思うんだ。何かしらの形でプラスになるものがあればいいなぁと思っている。それは、共感であったり、勇気付けであったり、参考であったり、もしくは建設的な批判であったり…色々だと思うのだけど。
「人の為」がモチベーションになる
そもそも私は「自分自身のため」というモチベーションだとあんまり頑張れないことが多いと気づいた。自分だけの為だったら、そこまで頑張らないでもいいやと思ってしまう。
自分だけのための食事は食べれればなんでも良い、手の込んだものを作るのは食べてくれる人がいるから…というのと同じような感覚だろうと思う。
自分自身だけだったら、そこまでお金も必要ないからそこまで頑張って仕事をする必要なんてないし、そこそこでいい。独身時代はいつ辞めようか、いつアルバイト生活になろうか(※フルタイムで働きたくない)といつでも考えていた。
その価値観が大きく変わったのが、子どもが生まれてから。そして仕事への姿勢が変わったことにより、今度は仕事で関わる人たちのために働きたいとも思うようになった。私にとっては「人のためになること」でないと、そこまで頑張ることができないみたい。これが、マズローの自己実現欲求ということか?
そんなこんなでnoteの話に戻ると、当初は自分の為に始めたこのnoteも、そろそろ「人の為」にシフトしていかないと、続けていけないのかもしれないなと思った訳です。
自分の当たり前は人にとっての宝物
人とのコミュニケーションや仕事のやり取りの何が面白いかって、自分にとっての当たり前が人にとって価値があるものになるということ。自分は楽に提供するのだけど、それが意外と、不思議と人に感謝される。というか、そうやって自分自身が無理せず自然と出来ることで人にとっての価値を生み出せるからこそ、それが仕事になったりするのである。
逆を返せばそれはつまり、自分の価値は自分にとっての当たり前すぎて気づきにくいということでもある。だからわからなくなるのである。
問いかけながら、とりあえず書く
人から言わせると、私は色々と世間一般の感覚と違うところがあるらしい。でもそれは、人に言われたからこそ自覚できたこと。
何の気なしに話したり行動したことが、そういった評価に繋がっていく。
自分は何が出来るのが、なにが人の為になるのかというのはまだまだ全然分からない。でも分からないなりに、気楽に言葉を待って、出てきたものをただそのまま形にしていけばきっと評価は痕からついてくるのかもしれない。
そんなことを思った次第です。
おしまい。