瞑想と読書の会
先日、瞑想と読書の会に参加した。
2回目の参加だ。
前回は3/20に参加、間を置かずに参加することになった。
瞑想は経験してみたかった、好奇心で参加したのが前回。鼻、肺、お腹、脳など様々な箇所で呼吸する。さすがに脳で呼吸と言われたときは「?、どうやるの?」だった。頭の中が空っぽになるわけではない。色んなことが巡るのだけれど、そうなんだー、とそのままを受け入れる感じ。2回目だけど、1回目と同じやり方だったのですんなり瞑想できた。
瞑想後に読書する、瞑想直後は文字が読める感覚ではなく、絵を眺める感じ。これは1回目、2回目とも同じ感覚。
瞑想後の読書
読む本は自由。
読書感想を参加者にシェア。
私は「否定しない習慣」林健太郎著 を読み紹介した。
読む時間は30~40分程度、全部を読み伝えることは不可能。
その中で何を伝えてもよい。
私がこの書籍を知ったのは知人からの紹介だった。「否定しない」はコミュニケーションをとっていくにはとても大切だ。
大切なのだけれど、いつもできているかと問われると、イエス、とは言えない時がある。
特に身近な人との会話では起こりがち、ヒントがあれば、と思ったのだ。
この書籍で指摘している「否定」は以下の4つ
怖いと思うのは「無意識の否定だ」。
この書籍を読んでみようと思ったのは、まさにこれ。家族、友人など身近な人への対応が気になっていたので、ヒントが得られれば、と考えたのだ。
読書会でシェアしたこと
私は営業時代に「イエス・バット法」を学び使っていたのだけれど、この書籍ではこれはほとんど使えない、と書いてあって多少なりの驚きがあった。
確かに、わたしがこれを使われたときに受け止めてもらえたか、感じていたかと言うと受け止めてもらえなかったと感じたことはあったのだか。「ほとんど使えない」と記載されていて、半分は納得、半分はモヤッと。
「確かにそうだね」と短い受け止めだけでは
受容してもらったと思うほうが無理だと思うけれど、学んできたことだしなぁ、が正直なところ。
この書籍では「イエス・エモーション話法」が勧められている。
といった使い方をする。肯定の言葉の後に、ポジティブなプラスの感情を伝える話法だ。
わたしの中ではIメッセージに近い印象。読書会では短い感想で終了したがこの書籍にはほかにも気づきとなることは多く記載されている。機会があったら読書感想としてひとつ書き上げられれば、と思う。
会を通しての気づき
リフレーミングする
ネガティブなことが起こった時、そのまま受け止めるか、それとも見方を変えることができるか。時と場合によるけれど、自分自身でリレフーミングできなかった時に第3者が見方を変えてくれるとほっとしたり、心休まることに変化したりすることがある。人生には必要なことしか起こらない、とよく言われるが、起こった瞬間にはネガティブな感情になってしまう。リフレーミングでネガティブな出来事もその時に必要だことだった、今の自分には必要なことなんだ、と思えるといいな。
自分を大切にする
「人に振り回されてしまって自分を蔑ろにしていたような気がする」参加者の方がおっしゃったひとこと。
「蔑ろにする」はっとさせられた言葉だった。
他者を大切にする、優先する。
場合によっては自分の感情を横に置いたり、無理やりスケジュールを変更する。
やりすぎてしまうと、疲弊して「いったい私は何をやっているんだろう」「何がやりたいのだろう」につながりそうだ。
はっとさせられたということは、身に覚えがあるということ。
他者の発言から自分を振り返る。
これは一人ではできないこと。
解放すること
「解放できる場所だった」
これは会が終了するにあたっての私の発言。
自分を解放すること、自由な発言は安心できる場所ではないと難しい。
心理的安全性、というヤツだ。
居心地の良い場所。
この瞑想と読書の会は、マイコーチからお誘いを受けたことがきっかけ。知っている人がいる安心感はあるものの、皆さんを存じ上げているわけではない。1回目、2回目ともはじめましての方がいらした。
その方々とも馴染みやすいよう、場作りしていただいたのかな。
興味があったことを体験するタイミング。きっと、今、私に必要なことなんだろう。
皆さんはやりたいこと、興味があることに踏み出すタイミング、掴んでいますか。
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