![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65261757/rectangle_large_type_2_0923c08d4298d128d0684a2e5cf84e10.jpg?width=1200)
地球温暖化への警鐘と対策を示す「人新世の資本論」
本(人新世の資本論)(長文失礼します)
地球温暖化への警鐘と対策をマルクスの資本論と関連づけながら考察した話題の本です。私もやっと読み終えることができました。筆者の斎藤幸平氏は大阪市立大学大学院の准教授で、専攻は経済思想と社会思想。「人新世(ひとしんせい)」(地質学的に見て地球が新しい時代に突入し、人間たちの行動の痕跡が地球表面を覆いつくした年代)における新たな資本論の必要性を説いています。
序章の「はじめに」では「SDGsは「大衆のアヘン」である!」のタイトルで始まります。いうまでもなくマルクスの「宗教はアヘンである」をもじったものですが、流行りのSDGsも温暖化によって環境破壊が進む地球への危機感を、一時的に麻痺させる効果しかないと糾弾しています。
グローバル・サウスとグローバル・ノース(かつての南北問題)による環境破壊は、北側の人間が自分たちの快適な生活を維持するために、南側の人間に犠牲を強いている現実を、あえて不可視化し外部化社会として位置付けていることに原因があります。こうした現実を「帝国的生活様式」を定義し、これは当然資本主義による貧富の差が現代社会では著しく拡大していることも意味しています。
SDGsの延長で、グリーン・ニューディールなどの環境対策も、資本主義の基本である経済成長の新たな生産を続ける限りは、地球環境の破壊は確実に進行するものであり、どのような環境対策も資本主義の制度内であれば、生産と地球環境の破壊はデカップリング(分離)できないと結論づけています。
よってポスト資本主義として筆者が考察するのは、脱成長型社会への大転換であり、GDPに反映されない人々の繁栄や生活の質に重きを置く、量(成長)から質(発展)への転換と述べています。
具体的には歴史的にも存在したコモン(共同体)では、同じような生産を伝統に基づいて繰り返しており、経済成長をしない循環型の定常型経済となります。
こうした社会を筆者は「脱成長コミュニズム」(敢えて共産主義ではなくカタカナで表記していますが)という名称で定義しており、その4つの柱を挙げています。
1.使用価値(ブランドなどの付加価値ではない実際に使用する価値)経済への転換
2.労働時間の短縮 3.画一的な分業の廃止 4.生産過程の民主化
5.エッセンシャル・ワークの重視
ただ現代の世界では共産主義をめざした旧ソ連や中国の現状を鑑みれば、当然反論も出てくると思いますが、筆者の見解では両国ともに国家権力による独裁体制が取られたために、本来の目的が達成できなかったとの見解です。まあこれにも当然異論はあると思いますが。
勿論人間だけでなく、自然をも資本蓄積のための略奪の対象と見なす現状の資本主義体制が、地球の危機的な状況をもたらすのは疑いの余地もない所です。
ただもはや高齢者に位置する年齢になった私でさえ、この脱成長コミュニズムの国家観や市民社会の具体的なイメージがわいてこないというのが率直な意見です。それは生まれてから現在まで、ずっと資本主義体制に中で生活してきたといえばそれまでですが、この本もあと何回か再読して咀嚼する必要がありそうです。