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「センスがいい」の哲学的解明を試みた本「センスの哲学」

本(センスの哲学)(長文失礼します)

「現代思想入門」の著者である千葉雅也さんの新刊です。この2冊と「勉強の哲学」を加えた3部作が、同氏の哲学入門書シリーズといわれますが、私も「現代思想入門」を読んだ時、入門書といいながら中々難解で何度か咀嚼する内に、現代思想の主流である脱構築の理論を、大まかながらも理解できたと思います。

今回はセンスの哲学的位置づけを考察するものですが、センスというのは言うまでもなく「センスがいい」「センスが悪い」といったあのセンスのことであり、先ずセンスの定義からは始まります。今回特徴的なのは美術や音楽、文学などの芸術全般が題材として使われている点であり、これは筆者が高校生の頃に美術を志していたという背景があります。

日常的にもセンスの定義は、感覚的で先天的であり、説明しにくいといったイメージがあり、論理化しづらい側面があります。そこで筆者が最初に提唱するのは、センスの脱意味化、つまり論理化して意味づけるのではなく、意味以前にリズムとして捉えるというものです。
リズムで把握しようとすると、センスに限定されずに、物事は反復と差異で構成されている。規則的な反復の中に、時折差異が挿入されることで、両者のバランスを取りながらのリズムが、センスの定義づけとなります。さらにこのバランスの違いが、センスの良し悪しに影響すると考えられます。

さらにこのリズムには、物質の不在と存在が相反する「ビート」や、生成変化の「うねり」などによって、より複雑なセンスの構造を呈しています。

文中で「大意味」と「小意味」という言葉が登場しますが、大印象は大まかな感動で、小意味は構造的感動と定義します。具体的には映画を観た後に全体的な感想が前者で、各シーンでの感想が後者になります。文中に登場する映画評論家の蓮見重彦氏などは、後者のディテールを重要視する代表との指摘がありますが、確かに玄人受けするというか、センスがいいとの評価があるかもしれませんね。

さらに2つの意味を踏まえながら「センスとは、喜怒哀楽を中心とする大まかな感動を半分に抑え、いろいろな部分の面白さに注目する構造的感動ができることである。」と結論付けています。

反復に対比する差異、大意味に対しする小意味のように、こうしたポイントをいかに特徴づけるかが、各人のセンスの良さ、違いに繋がっていくように感じました。

筆者は最終章で、センスを超越するアンチセンスの提唱も行っていますが、センスのリズムの反復は、偶然性とランダムが重なっており、執拗に繰り返す必然性と偶然性を両義的に帯びている問題が、反復と差異のセンスを引き裂き、そこにアンチセンスが生まれると説いています。センスのリズムからの脱却が新たなアンチ(脱)センスに繋がるのかもしれません。

巻末の「おわりに」では、研究者としての本音(葛藤?)が垣間見えて、興味深い文章であったことを付け加えておきます。

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